【特集】eスポーツ入門
日本のeスポーツの先駆け、ゲーセンの「ハイスコア競争」はいま? 「日本ハイスコア協会」に聞いてみた
- アーケードゲームにおけるハイスコアの始まり
- 個人のスコア競争から店舗間での星取り争いへ
- 集計方法はゲーセン店員にその場で確認してもらうアナログ申請を維持
- 過去のハイスコアデータの受け皿として協会設立
- 課題はアナログな集計方法と過去データの整理
- 令和のハイスコア文化のあり方とは
「eスポーツ」と言えば、『Valorant』を代表とするFPSだったり、『リーグ・オブ・レジェンド』のようなMOBAであったり、『ストリートファイター』シリーズのように1対1の対戦格闘ゲームだったりと、基本的には対戦で勝敗を決める競技が中心だ。
そうした対戦による競技シーンとは別に、ゲームのクリア時間を競う「リアルタイムアタック」(RTA)も注目されている。このRTAもまた、現在は「eスポーツ」のひとつと言っていいだろう。
しかしそもそも「ビデオゲームを使ってみんなで競い合う」という文化は、日本では1980年代前半から“記録”として残っている。そう、「アーケードゲームのハイスコア集計」という文化だ。
全国のゲームセンターや個人から定期的にスコアを提出してもらい、それを集計して日本全国の1位を発表する。リアルスポーツでいうところの陸上競技のようなもので、たとえば100m走なら何秒で走った、走り幅跳びなら何m何cm跳んだという記録があるように、アーケードゲームにおいても「あのシューティングで何万点以上のハイスコアが出た」とか、「あのレースゲームでついに何分台が出た」といった文化があったのだ。そしてそれは、今でも脈々と続いている。
ゲームを使った競技という意味では、これもeスポーツと言えるだろうし、そこには40年近い歴史がある。ただし、かつてはアーケードゲーム専門雑誌で毎号掲載されていたハイスコア集計だが、今はそういったメディアは紙もウェブもなくなってしまった。メディアが1冊もない状態なのに、「今でも続いている」のである。その集計を行っているのが日本ハイスコア協会だ。
今回は、そんなアーケードゲームにおけるハイスコアの歴史と現状、そしてこれからについて、日本ハイスコア協会の委員を務めるきらり屋氏と松浦恵介氏に話を聞いた。
──eSports Worldの読者には当時を知らない若い方も多いと思います。そもそもアーケードゲームのスコア集計というものはいつ頃から始まったものなのか、その歴史を簡単に教えてください。
松浦:確認できるものとしては、1983年に創刊されたビデオソフト雑誌「ビデオコレクション(東京ニュース通信社)」や、同じく1983年創刊のアミューズメント業界全体の一般向け雑誌「AMライフ(アミューズメントライフ)」誌上に、全国数店舗のゲームセンターによるハイスコアが誌面に掲載されたのが始まりです。
ただ、このときはあくまで全国から送られてきたスコアがそのまま掲載されていただけで、そのゲームにおいて誰が1位なのかとか、そういう比較は行っていませんでした。どちらもビデオゲーム専門雑誌だったわけでもないので、あくまでオマケ的な掲載でした。
そこから、明確にハイスコアを集計して全国1位が掲載されるようになったのは、「月刊マイコンBASICマガジン(電波新聞社。以下「ベーマガ」)」の1984年1月号から、その名も「チャレンジ! ハイスコア」というコーナーです。
きらり屋:昔のゲームセンターには、店舗内に各ゲームのハイスコアが書かれたボードがあったんですよ。この仕掛け人は、ベーマガライターのうる星あんず氏で、ベーマガ編集長に「ハイスコア集計をしたい」とお願いして、ナムコの営業所のロケーションにスコアボードを置いてもらったそうです。
「AMライフ」では店舗ごとのスコアを載せるだけだったのですが、「ベーマガ」では全国からのスコアを集計して、1位のスコアを掲載するということが始まりました。
松浦:「ベーマガ」1984年1月号の段階では、集計店が26店舗だったのですが、1年も経たないうちに100店舗を越えていました。そして1986年4月創刊のアーケードゲーム専門雑誌「月刊ゲーメスト(新声社)」も創刊1号目からハイスコアコーナーを掲載していくことになります。
──こうしたハイスコア競争によって、当時のゲーム自体の開発も大きな影響を受けていたと思いますが、ゲームの開発自体にも変化はあったでしょうか?
松浦:どの程度影響があったかはわかりませんが、複雑な得点システムでいうとアーケードのシューティングゲーム史上で重要な作品と言われているものがいくつかあります。
代表例としては『オメガファイター(UPL/1989年)』などが挙げられるでしょう。“危険行為推奨シューティング”の先駆けで、敵に近付くことで撃破時の得点が最大10倍まで増えるというシステムでした。
オメガファイター|アーケードアーカイブス
http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/switch/omega_fighter.htm
また、『怒首領蜂 (ケイブ/1997年)』は対戦格闘ゲームから着想を得たコンボシステムを搭載し、敵を一定時間内に倒し続けることでコンボが継続して、スコアがどんどん上がっていくというものでした。
怒首領蜂 大往生
https://store.steampowered.com/app/464450/DoDonPachi_Resurrection/?l=japanese
メーカー側がさまざまな創意工夫をする一方で、プレイヤー側もさまざまなスコア稼ぎのセオリーやテクニックを積み上げていきました。また、連射装置をはじめとするコントロールパネルの改造も盛んになってきました。
ゲームの中には、電源を入れた最初のプレイにおいてパターンが固定されるものがあり、お店によっては筐体にプレイヤーが操作できる電源スイッチが設置されているところも出てきました。
──海外でもハイスコア集計は行われているのでしょうか?
松浦:日本ほどの規模でやっているところはないと思いますが、有名なところではアメリカの「Twin Galaxies」が挙げられます。日本以外の地域はアーケードゲームの文化が早々に衰退してしまっているところが多く、ゲームセンターを中心にしたコミュニティが成り立ちにくかったのではないかと思います。
ただし、どの地域にも熱心なプレイヤーはいて、特に欧州は根強いコミュニティが存在していると感じています。まれに海外から「このゲームの最終スコアを教えてほしい」「海外からの申請は可能か?」といった問い合わせをいただくことがあります。
ただし残念ながら、海外で流通している基板はゲーム内容や初期設定が日本版とは異なる場合があり、差異を確認するのが困難なため、海外からの申請は受け付けていません。
──「ゲーメスト」でのハイスコア申請ルールは、どのように整備されていったのでしょうか。
きらり屋:「ゲーメスト」のハイスコアコーナー「めざせ!! ハイスコア」は、最初のころだとゲームセンターごとに提出されているゲーム数もバラバラで、明確なルールがありませんでした。
松浦:それがだんだん明文化されるようになり、ひとつのゲームセンターにつき集計日(月に1回)に提出できるスコアは10個までで、その月で全国1位のハイスコアを出したゲームセンターには★(星)が一つ与えられました。年間でもっとも★を獲得したゲームセンターは、その年の「ゲーメスト大賞」(「ゲーメスト」主催のアーケードゲームアワード)で表彰もしていたんです。
きらり屋:これによって、ゲームセンターごとに熾烈な争いが始まったんですよね。今の時代のようにネットが普及していた時代ではないので、毎月「ベーマガ」や「ゲーメスト」が発売されるまで、どのゲームセンターがどのゲームで誰が何点のスコアを出しているのかわからないんです。
松浦:だんだんと事前にゲームセンター同士で連絡取り合うようになって、発売前に点数情報が流れるようになったようです。でも、このゲームセンターごとに★を競い合うという取り組みは、eスポーツにおける「チーム」のようなものだと、今改めて思いました。
──チーム、ですか?
松浦:はい、ゲームセンターごとに集まるプレイヤーも違いましたし、「他店には負けたくない!」「このゲームならうちがハイスコア出せそう!」とか常連同士でスコアの役割分担したり。個人にしても店舗にしても、「あのゲームでがんばってハイスコアを目指そう」という明確な目標があったことは、とてもよかったと思います。
きらり屋:発売日に雑誌を買いに行って、「やった! ★とれた!」「ダメだった!」で一喜一憂していましたね。
松浦:★取りについてはゲームセンターごとにさまざまな考え方も生まれました。「うちは王道でいくから、人気のシューティングゲームで全一(全国1位)を目指す」という店舗もあれば、「最近全一が更新されていないこのゲームをやり込んでみよう」「このゲームは遊んでいる人が少なそうだから全一獲れるかも」とか。
そうして「ゲーメスト」に掲載されることで、あそこのゲームセンターはアレが人気あるだとか、それで店舗に人が集まるというのもありましたね。ハイスコア店にとって、★はステータスでした。
きらり屋:いわゆる「遠征」という文化もありました。同じ店舗の常連仲間で「このスコアを出しているあの店に行ってみよう」と電車やクルマで遠出するんです。押しかけられた店側は、道場破りが来たかのような雰囲気になったり、スコアラーがプレイしている様子は常連が人壁を作って、他店舗のプレイヤーには見せないようにしたり。
松浦:「ゲーメスト」のハイスコアコーナーは盛り上がっていた頃は毎号10ページくらいありましたが、集計店は80店舗前後でした。ゲームセンターから「うちも載せてほしい」という問い合わせがあっても、簡単には掲載OKにはならなかった、と当時のスタッフから聞いています。「そちらの店舗では何点出せるの?」みたいな感じで、いくつかのゲームで参考スコアを数カ月提出してもらって「あ、ここはちゃんといいスコアを定期的に出せるな」という審査をしていたというのが実際だったようです。
──ゲームセンターとプレイヤーの協力もあってのハイスコア集計だったということですね。ちなみに、現在はどのように行っているのでしょうか?
松浦:「ゲーメスト」やその後継雑誌「アルカディア(1999年にアスキー/エンターブレインより創刊。2015年休刊)」の頃は、基本的にはゲームセンター側で確認して提出してもらったものと、あとは個人申請ですね。
きらり屋:実は今もこの個人申請というアナログな方式でやっているんです。用紙にゲーム名とスコア、名前(スコアネーム)と店名を書いてもらい、お店の方にハンコをもらって、それを専用フォームに入力して送ってもらいます。
──紙での申請にハンコ、ですか?
松浦:ものすごくアナログな方法ですよね。「アルカディア」の時代もずっとFAXか郵送で申請を受け付けていました。FAXの機器自体が老朽化してトラブルが起きたことも何回かありましたね。何らかの方法でネット経由でもらう方法も検討していたのですが、当時はまだゲームセンターごとの設備や環境の差異が大きく、変更に踏み切れませんでした。
──申請用紙に数字を書くだけで、証拠となるような画面写真なども必要ないとなると、嘘のスコアが申請されるようなことはないんでしょうか?
松浦:全くないとは言えません。たとえば結果的にウソスコ(嘘のスコア)になってしまったという例は実際にあります。
ゲームの難易度等は、基本的に工場出荷設定で遊んだもので集計をしているのですが、違う設定で遊んでいたことにスコアが発表された後で気が付いてわざわざ連絡してくれた、ということがありました。
──申請者自身が申告してくれる、というのもすごいですね……。コンプライアンスがしっかりしているというか。
きらり屋:当時はネット社会でなかったぶん、店舗同士の相互監視のようなものもあったと思います。
松浦:また、明らかにおかしいなと思うスコアはわかりますからね、編集部から確認の連絡をして細かく確認もしていました。それでも、しばしば誤ったスコアが乗ってしまうことはありましたが……。
──チェックしていた編集部の知識と嗅覚もすごかったですね(笑)。
きらり屋:あとは「ゲーメスト」や「アルカディア」側のミス、つまり誤植の状態で掲載されてしまったものもありました。その時は店舗から連絡があって「あのスコアは間違いなので修正してほしい」と。本人もお店も、ウソスコのまま名が残ってしまうのが本当に心苦しくなった、と……。
──雑誌とともに始まったハイスコア文化でしたが、「アルカディア」ではだんたんハイスコアのページが少なくなっていきました。
松浦:減るどころかなくなる危機も何度もありましたよ。何とか残してもらっていましたが、最後の方は2ページ程度でしたね。もうゲームセンターに添付していただいた全スコアを掲載するなんてことはできず、その月で更新されたスコアのみの掲載になってしまいました。その頃にはもう、どのお店でどのゲームのスコアを頑張っているとか、そういう情報もわからなくなってしまいましたね。
──そして、2015年の「アルカディア」休刊から日本ハイスコア協会が設立されました。
松浦:この「ゲーメスト」時代から「アルカディア」までのハイスコアのデータは、そもそもどこの(どの会社の)権利なのか、という整理から始まりました。「アルカディア」を発行していたKADOKAWAの権利物であるということで、今度はこの管理・集計を引き継いで行ってくれるところを探し始めたのですが、なかなか話がまとまらず……。
ここで、「アルカディア」で最後までハイスコア集計をやっていた僕らが「もうやらない」と言ったら、ハイスコア集計そのものがなくなってしまう、という状況になってしまったんです。この文化をここで終わらせてはいけないという使命感から、アルカディア編集部と協議の上で僕らで継続しようということになりました。
きらり屋:スコアの申請方式はこれ(下の画像)を印刷してもらって、記録を出したら店員にハンコを押してもらい、サイトから申請してもらう……という個人申請で現在も受け付けていますが、ひとつ問題があって。
──問題というのは?
きらり屋:以前だと「ゲーメスト」なり「アルカディア」なりの雑誌があって、そこに掲載するからということでゲームセンターの店員にも理解してもらいやすかったんです。でもいまは雑誌がなくなったので「え? なんですかそれ??」と理解してくれない店舗もあります。
松浦:逆に、気を利かせてくれているお店もあって、ゲームセンター側で申請書を用意してくれているところもあるんです。
きらり屋:あとは今、どんどんゲームセンター自体がなくなっていて、北海道や東北の方は自分がスコアを更新できるであろうタイトルをプレイして申請するためだけに、わざわざ都心部まで行かなくてはならない、という状況になっています。
「ゲームの基板を持っていれば、家でプレイした結果を送ればいいんじゃないの?」と言われたことも。アーケードゲームのハイスコア集計は、これまで第三者の目がいつでも入ることが可能なオープンな場所でスコアを出すという前提で成り立ってきました。
送られてきたスコアは性善説を信じて受け入れるけど、どこかから物言いが付いたときには、第三者がそのスコアや基板を確認しに行ける環境でないと困るわけです。そこが崩れるとこれまで継続してきた集計と変わってしまうので、ルール変更するには慎重な議論が必要だと思っています。
──データの信憑性については、アナログ方式であっても頑なに守り続けておられるんですね。
きらり屋:現在は申請されたデータを月に1回、日本ハイスコア協会のサイトで公開しています。どのゲームが遊ばれていて、どんなスコアがわかります。また、新たに集計してほしいゲームの要望なども受け付けています。
──今回のインタビューのきっかけは、ハイスコア競争を「eスポーツ」という側面から考えられるかということでした。例えば昨今のRTAイベントのように、eスポーツではないけれど競争を見せる、という方法もあるかもしれません。ハイスコアシーンもエンタメとして見せるようなことは可能なのでしょうか?
松浦:「わっしょい!」というシューティングゲームのトッププレイヤーのプレイを観覧するイベントが、2008年から不定期で開催されています。1回目からチケットが即座に完売するほどの人気ぶりでした。また、近年は東京のゲームセンター・高田馬場ゲーセンミカドinオアシスプラザがシューティングゲームの動画配信を行っていますが、一定数の視聴者が存在します。
2023年3月中旬~4月下旬にかけて、数日おきに配信された「春のシューティング祭り2023」は、各回1〜3万程度の再生数がついています。
だったら配信イベントをどんどんやれば盛り上がるのかと言えば、そう簡単にはいきません。アーケードゲームの弱点として、「プレイ環境を作るのが難しい」という問題があります。
アーケードゲームの基板は、家庭用のソフトに比べると高価で、出回っている数も少ないです。しかも筐体やコントロールパネルを準備する必要がありますし、作品によっては特殊な改造装置(連射機能など)を使用しなければベストなパフォーマンスが出せません。現実的に、定期的かつ高度なプレイを伴うイベントを開催できるのは、ミカドのような店舗に限られてきます。
──今回、アーケードゲームでハイスコアを目指すという遊び方を初めて知った方に向けて、挑戦する楽しさなどを教えていただけますか?
松浦:自分のプレイを見直しながら、少しずつ創意工夫をしてスコアを伸ばしていく作業は、新しいことを少しずつ身に付けていく達成感があると思います。
まずは「こうやれば安全に進められる」という攻略パターンをつくって、それが安定してきたら、次は「もっとスコアを稼げる」パターンを作って試してみる。プレイが安定しないようなら、どうすればいいか考える。うまくいかなければ悩ましいし、うまくいけば楽しくなります。
きらり屋:時には人のプレイを見て「そういう考え方があったのか!」と驚きつつも、そこから「これを自分なりに改良するとしたら……」と考えます。そういう作業を細かく繰り返しながら、少しずつスコアが伸びていく。この達成感は他では味わえない充実感があると思います。
──たとえば、最近遊び始めたゲームがあったとして、それでなかなかのいいスコアを出した! というとき、それがランキング的に何位くらいなのかはすぐわかるのでしょうか?
松浦:現状の仕組みでは調べていかないとわからないですね。今のハイスコア集計はネットで公表しているにもかかわらず、そういった検索やソートなどの機能がないので、個別に遡っていくしかないんです。当初の予定ではそこまでやる予定だったのですが、いろいろ難題があって……。本当はそこまでやりたい、という気持ちはもちろんあります。
きらり屋:理想で言えば、自分のアカウントを作ってゲームごとに申請したスコアが今何位なのか検索・ソートすればすぐわかる、みたいな仕組みがいいですよね。去年までは10位だったのに20位以下になっている! とか分かれば、また10位以内に入れるようにがんばろう、と盛り上がれそうですし。ただ、そういったシステム作りはちょっと現状では難しく……私たちはただの任意団体でしかないので。
──今後、日本ハイスコア協会としてこうしたい、というような取り組みはございますか?
松浦:さっき「ウソスコ」を修正してほしいという連絡があった、という話をしましたが、実は一つ気になっていることがあるんです。NEOGEO(SNKによるアーケード規格。ゲームはカートリッジで供給されて値段も安くゲームセンター側としては扱いやすい商品だった)のゲームは全部集計し直したいなと、密かに思っているんです。
──全部、ですか?
松浦:NEOGEOの全盛期だった90年代中ごろまでは集計ルールが現在の形と異なっており、ありとあらゆる筐体の改造が許容されていました。
たとえば、レバーの入力をボタンで行えるようにコントロールパネルを改造し、メーカー側が意図していない特殊な挙動を生み出すとか。近年のeスポーツシーンでも話題になった、レバーレスコントローラーをめぐる問題に似たものが30年前にも起きていたんですね。
こういった筐体改造を使って出したスコアは記録として残しつつ、それとは別に無改造部門を設けて集計すれば、挑戦してくれるプレイヤーさんは多いと思うんです。
今ならまだ、レトロゲームと中心とした店舗にはNEOGEO筐体はありますし、新たに盛り上げることができるのではないか、と。この記事を読んでいる皆さんにも、ぜひ賛成反対いろいろな意見をいただきたいです。
きらり屋:私自身もぜひやってみたいと思っています。スコアラーさんの意見もおうかがいしたいですね。
松浦:今後、この日本ハイスコア協会はどうしていくべきなのかという問題は、ずっと我々の間でも話し続けています。どこかきちんと引き継いでくれるところがあれば話し合う準備はあります。家庭用ゲーム機も集計してほしいという声もありますし、そういったものも含めて何らかの形でスコア集計を続けていくのかどうなのか……。
ハイスコア文化はゲームセンターと一緒に滅び行く文化だ、という意見もあり、我々もどうするのがベストなのか、日々検討しています。
きらり屋:私としては、40年前からずっとプレイしてスコア申請している人も安心してスコアを送ることができる形を残してほしいな、と思っています。今後引き継いでやっていただく方がちょっとでもその形を残してくれるなら、「どうぞお願いします!」ですね。
ぜひこの文化を新しい形でどこかに引き継いでほしいと思っていますし、それまでは私たちが責任を持ってハイスコア集計を続けていきます。
当時のゲームセンターを知る人たちにとっては当たり前に思えるかもしれないが、やはりアナログでの申請という方法は、現実的に維持することはできても、新しい挑戦者を集めるには敷居が高すぎるだろう。オンライン通信が当たり前の現在では、家庭用ゲーム機やSteamなどでは、ゲーム側の機能として世界何位なのかが瞬時にわかる仕組みもある。
ただ、ゲームのアップデートも行われず、通信機能もなかった時代のアーケード筐体を使って、全国に存在する見えないライバルたちとたったひとつの数字をかけて競い合うというハイスコア文化の面白さは、いまも変わらず存在する。ホームのゲーセンでは敵なしでも、隣町に遠征したらまったく太刀打ちできなかった、といったケースも多々あった。
フィルムカメラが若者の間で流行しているように、古くて新しいアーケードゲームの魅力が再燃する可能性もないとは言えない。そして、若者にとって古いゲームは、触れたこともないまったく新しいゲームと同義だ。レトロゲームも「アケアカ」をはじめ、Switch用の「プロジェクトEGG」もリリースされるなど、いままた見直されてきている。
日本ハイスコア協会の取り組みは、間違いなく「eスポーツ」のいちカテゴリーになりうるものだとは思う。そのために必要な課題はたくさんあるが、願わくば現在もなお抜かれない全一プレイヤーたちの功績を、日本ハイスコア協会には今後も守り続けていってほしい。
インタビュー・執筆:松井ムネタツ
編集・撮影:宮下英之
そうした対戦による競技シーンとは別に、ゲームのクリア時間を競う「リアルタイムアタック」(RTA)も注目されている。このRTAもまた、現在は「eスポーツ」のひとつと言っていいだろう。
しかしそもそも「ビデオゲームを使ってみんなで競い合う」という文化は、日本では1980年代前半から“記録”として残っている。そう、「アーケードゲームのハイスコア集計」という文化だ。
全国のゲームセンターや個人から定期的にスコアを提出してもらい、それを集計して日本全国の1位を発表する。リアルスポーツでいうところの陸上競技のようなもので、たとえば100m走なら何秒で走った、走り幅跳びなら何m何cm跳んだという記録があるように、アーケードゲームにおいても「あのシューティングで何万点以上のハイスコアが出た」とか、「あのレースゲームでついに何分台が出た」といった文化があったのだ。そしてそれは、今でも脈々と続いている。
ゲームを使った競技という意味では、これもeスポーツと言えるだろうし、そこには40年近い歴史がある。ただし、かつてはアーケードゲーム専門雑誌で毎号掲載されていたハイスコア集計だが、今はそういったメディアは紙もウェブもなくなってしまった。メディアが1冊もない状態なのに、「今でも続いている」のである。その集計を行っているのが日本ハイスコア協会だ。
今回は、そんなアーケードゲームにおけるハイスコアの歴史と現状、そしてこれからについて、日本ハイスコア協会の委員を務めるきらり屋氏と松浦恵介氏に話を聞いた。
写真左:きらり屋
ゲーム雑誌「ゲーメスト」にライター・イラストレーラーとして参加し、以降さまざまなゲームメディアで活躍。日本ハイスコア協会 委員
写真右:松浦恵介
アーケードゲーム専門誌「アルカディア」編集部員からフリー編集者へ。ゲーム関連書籍やライトノベルの編集などを手がける。日本ハイスコア協会 委員
ゲーム雑誌「ゲーメスト」にライター・イラストレーラーとして参加し、以降さまざまなゲームメディアで活躍。日本ハイスコア協会 委員
写真右:松浦恵介
アーケードゲーム専門誌「アルカディア」編集部員からフリー編集者へ。ゲーム関連書籍やライトノベルの編集などを手がける。日本ハイスコア協会 委員
アーケードゲームにおけるハイスコアの始まり
──eSports Worldの読者には当時を知らない若い方も多いと思います。そもそもアーケードゲームのスコア集計というものはいつ頃から始まったものなのか、その歴史を簡単に教えてください。
松浦:確認できるものとしては、1983年に創刊されたビデオソフト雑誌「ビデオコレクション(東京ニュース通信社)」や、同じく1983年創刊のアミューズメント業界全体の一般向け雑誌「AMライフ(アミューズメントライフ)」誌上に、全国数店舗のゲームセンターによるハイスコアが誌面に掲載されたのが始まりです。
ただ、このときはあくまで全国から送られてきたスコアがそのまま掲載されていただけで、そのゲームにおいて誰が1位なのかとか、そういう比較は行っていませんでした。どちらもビデオゲーム専門雑誌だったわけでもないので、あくまでオマケ的な掲載でした。
そこから、明確にハイスコアを集計して全国1位が掲載されるようになったのは、「月刊マイコンBASICマガジン(電波新聞社。以下「ベーマガ」)」の1984年1月号から、その名も「チャレンジ! ハイスコア」というコーナーです。
きらり屋:昔のゲームセンターには、店舗内に各ゲームのハイスコアが書かれたボードがあったんですよ。この仕掛け人は、ベーマガライターのうる星あんず氏で、ベーマガ編集長に「ハイスコア集計をしたい」とお願いして、ナムコの営業所のロケーションにスコアボードを置いてもらったそうです。
「AMライフ」では店舗ごとのスコアを載せるだけだったのですが、「ベーマガ」では全国からのスコアを集計して、1位のスコアを掲載するということが始まりました。
松浦:「ベーマガ」1984年1月号の段階では、集計店が26店舗だったのですが、1年も経たないうちに100店舗を越えていました。そして1986年4月創刊のアーケードゲーム専門雑誌「月刊ゲーメスト(新声社)」も創刊1号目からハイスコアコーナーを掲載していくことになります。
──こうしたハイスコア競争によって、当時のゲーム自体の開発も大きな影響を受けていたと思いますが、ゲームの開発自体にも変化はあったでしょうか?
松浦:どの程度影響があったかはわかりませんが、複雑な得点システムでいうとアーケードのシューティングゲーム史上で重要な作品と言われているものがいくつかあります。
代表例としては『オメガファイター(UPL/1989年)』などが挙げられるでしょう。“危険行為推奨シューティング”の先駆けで、敵に近付くことで撃破時の得点が最大10倍まで増えるというシステムでした。
オメガファイター|アーケードアーカイブス
http://www.hamster.co.jp/arcadearchives/switch/omega_fighter.htm
また、『怒首領蜂 (ケイブ/1997年)』は対戦格闘ゲームから着想を得たコンボシステムを搭載し、敵を一定時間内に倒し続けることでコンボが継続して、スコアがどんどん上がっていくというものでした。
怒首領蜂 大往生
https://store.steampowered.com/app/464450/DoDonPachi_Resurrection/?l=japanese
メーカー側がさまざまな創意工夫をする一方で、プレイヤー側もさまざまなスコア稼ぎのセオリーやテクニックを積み上げていきました。また、連射装置をはじめとするコントロールパネルの改造も盛んになってきました。
ゲームの中には、電源を入れた最初のプレイにおいてパターンが固定されるものがあり、お店によっては筐体にプレイヤーが操作できる電源スイッチが設置されているところも出てきました。
──海外でもハイスコア集計は行われているのでしょうか?
松浦:日本ほどの規模でやっているところはないと思いますが、有名なところではアメリカの「Twin Galaxies」が挙げられます。日本以外の地域はアーケードゲームの文化が早々に衰退してしまっているところが多く、ゲームセンターを中心にしたコミュニティが成り立ちにくかったのではないかと思います。
ただし、どの地域にも熱心なプレイヤーはいて、特に欧州は根強いコミュニティが存在していると感じています。まれに海外から「このゲームの最終スコアを教えてほしい」「海外からの申請は可能か?」といった問い合わせをいただくことがあります。
ただし残念ながら、海外で流通している基板はゲーム内容や初期設定が日本版とは異なる場合があり、差異を確認するのが困難なため、海外からの申請は受け付けていません。
個人のスコア競争から店舗間での星取り争いへ
──「ゲーメスト」でのハイスコア申請ルールは、どのように整備されていったのでしょうか。
きらり屋:「ゲーメスト」のハイスコアコーナー「めざせ!! ハイスコア」は、最初のころだとゲームセンターごとに提出されているゲーム数もバラバラで、明確なルールがありませんでした。
松浦:それがだんだん明文化されるようになり、ひとつのゲームセンターにつき集計日(月に1回)に提出できるスコアは10個までで、その月で全国1位のハイスコアを出したゲームセンターには★(星)が一つ与えられました。年間でもっとも★を獲得したゲームセンターは、その年の「ゲーメスト大賞」(「ゲーメスト」主催のアーケードゲームアワード)で表彰もしていたんです。
きらり屋:これによって、ゲームセンターごとに熾烈な争いが始まったんですよね。今の時代のようにネットが普及していた時代ではないので、毎月「ベーマガ」や「ゲーメスト」が発売されるまで、どのゲームセンターがどのゲームで誰が何点のスコアを出しているのかわからないんです。
松浦:だんだんと事前にゲームセンター同士で連絡取り合うようになって、発売前に点数情報が流れるようになったようです。でも、このゲームセンターごとに★を競い合うという取り組みは、eスポーツにおける「チーム」のようなものだと、今改めて思いました。
──チーム、ですか?
松浦:はい、ゲームセンターごとに集まるプレイヤーも違いましたし、「他店には負けたくない!」「このゲームならうちがハイスコア出せそう!」とか常連同士でスコアの役割分担したり。個人にしても店舗にしても、「あのゲームでがんばってハイスコアを目指そう」という明確な目標があったことは、とてもよかったと思います。
きらり屋:発売日に雑誌を買いに行って、「やった! ★とれた!」「ダメだった!」で一喜一憂していましたね。
松浦:★取りについてはゲームセンターごとにさまざまな考え方も生まれました。「うちは王道でいくから、人気のシューティングゲームで全一(全国1位)を目指す」という店舗もあれば、「最近全一が更新されていないこのゲームをやり込んでみよう」「このゲームは遊んでいる人が少なそうだから全一獲れるかも」とか。
そうして「ゲーメスト」に掲載されることで、あそこのゲームセンターはアレが人気あるだとか、それで店舗に人が集まるというのもありましたね。ハイスコア店にとって、★はステータスでした。
きらり屋:いわゆる「遠征」という文化もありました。同じ店舗の常連仲間で「このスコアを出しているあの店に行ってみよう」と電車やクルマで遠出するんです。押しかけられた店側は、道場破りが来たかのような雰囲気になったり、スコアラーがプレイしている様子は常連が人壁を作って、他店舗のプレイヤーには見せないようにしたり。
松浦:「ゲーメスト」のハイスコアコーナーは盛り上がっていた頃は毎号10ページくらいありましたが、集計店は80店舗前後でした。ゲームセンターから「うちも載せてほしい」という問い合わせがあっても、簡単には掲載OKにはならなかった、と当時のスタッフから聞いています。「そちらの店舗では何点出せるの?」みたいな感じで、いくつかのゲームで参考スコアを数カ月提出してもらって「あ、ここはちゃんといいスコアを定期的に出せるな」という審査をしていたというのが実際だったようです。
集計方法はゲーセン店員にその場で確認してもらうアナログ申請を維持
──ゲームセンターとプレイヤーの協力もあってのハイスコア集計だったということですね。ちなみに、現在はどのように行っているのでしょうか?
松浦:「ゲーメスト」やその後継雑誌「アルカディア(1999年にアスキー/エンターブレインより創刊。2015年休刊)」の頃は、基本的にはゲームセンター側で確認して提出してもらったものと、あとは個人申請ですね。
きらり屋:実は今もこの個人申請というアナログな方式でやっているんです。用紙にゲーム名とスコア、名前(スコアネーム)と店名を書いてもらい、お店の方にハンコをもらって、それを専用フォームに入力して送ってもらいます。
──紙での申請にハンコ、ですか?
松浦:ものすごくアナログな方法ですよね。「アルカディア」の時代もずっとFAXか郵送で申請を受け付けていました。FAXの機器自体が老朽化してトラブルが起きたことも何回かありましたね。何らかの方法でネット経由でもらう方法も検討していたのですが、当時はまだゲームセンターごとの設備や環境の差異が大きく、変更に踏み切れませんでした。
──申請用紙に数字を書くだけで、証拠となるような画面写真なども必要ないとなると、嘘のスコアが申請されるようなことはないんでしょうか?
松浦:全くないとは言えません。たとえば結果的にウソスコ(嘘のスコア)になってしまったという例は実際にあります。
ゲームの難易度等は、基本的に工場出荷設定で遊んだもので集計をしているのですが、違う設定で遊んでいたことにスコアが発表された後で気が付いてわざわざ連絡してくれた、ということがありました。
──申請者自身が申告してくれる、というのもすごいですね……。コンプライアンスがしっかりしているというか。
きらり屋:当時はネット社会でなかったぶん、店舗同士の相互監視のようなものもあったと思います。
松浦:また、明らかにおかしいなと思うスコアはわかりますからね、編集部から確認の連絡をして細かく確認もしていました。それでも、しばしば誤ったスコアが乗ってしまうことはありましたが……。
──チェックしていた編集部の知識と嗅覚もすごかったですね(笑)。
きらり屋:あとは「ゲーメスト」や「アルカディア」側のミス、つまり誤植の状態で掲載されてしまったものもありました。その時は店舗から連絡があって「あのスコアは間違いなので修正してほしい」と。本人もお店も、ウソスコのまま名が残ってしまうのが本当に心苦しくなった、と……。
過去のハイスコアデータの受け皿として協会設立
──雑誌とともに始まったハイスコア文化でしたが、「アルカディア」ではだんたんハイスコアのページが少なくなっていきました。
松浦:減るどころかなくなる危機も何度もありましたよ。何とか残してもらっていましたが、最後の方は2ページ程度でしたね。もうゲームセンターに添付していただいた全スコアを掲載するなんてことはできず、その月で更新されたスコアのみの掲載になってしまいました。その頃にはもう、どのお店でどのゲームのスコアを頑張っているとか、そういう情報もわからなくなってしまいましたね。
──そして、2015年の「アルカディア」休刊から日本ハイスコア協会が設立されました。
松浦:この「ゲーメスト」時代から「アルカディア」までのハイスコアのデータは、そもそもどこの(どの会社の)権利なのか、という整理から始まりました。「アルカディア」を発行していたKADOKAWAの権利物であるということで、今度はこの管理・集計を引き継いで行ってくれるところを探し始めたのですが、なかなか話がまとまらず……。
ここで、「アルカディア」で最後までハイスコア集計をやっていた僕らが「もうやらない」と言ったら、ハイスコア集計そのものがなくなってしまう、という状況になってしまったんです。この文化をここで終わらせてはいけないという使命感から、アルカディア編集部と協議の上で僕らで継続しようということになりました。
きらり屋:スコアの申請方式はこれ(下の画像)を印刷してもらって、記録を出したら店員にハンコを押してもらい、サイトから申請してもらう……という個人申請で現在も受け付けていますが、ひとつ問題があって。
──問題というのは?
きらり屋:以前だと「ゲーメスト」なり「アルカディア」なりの雑誌があって、そこに掲載するからということでゲームセンターの店員にも理解してもらいやすかったんです。でもいまは雑誌がなくなったので「え? なんですかそれ??」と理解してくれない店舗もあります。
松浦:逆に、気を利かせてくれているお店もあって、ゲームセンター側で申請書を用意してくれているところもあるんです。
きらり屋:あとは今、どんどんゲームセンター自体がなくなっていて、北海道や東北の方は自分がスコアを更新できるであろうタイトルをプレイして申請するためだけに、わざわざ都心部まで行かなくてはならない、という状況になっています。
「ゲームの基板を持っていれば、家でプレイした結果を送ればいいんじゃないの?」と言われたことも。アーケードゲームのハイスコア集計は、これまで第三者の目がいつでも入ることが可能なオープンな場所でスコアを出すという前提で成り立ってきました。
送られてきたスコアは性善説を信じて受け入れるけど、どこかから物言いが付いたときには、第三者がそのスコアや基板を確認しに行ける環境でないと困るわけです。そこが崩れるとこれまで継続してきた集計と変わってしまうので、ルール変更するには慎重な議論が必要だと思っています。
──データの信憑性については、アナログ方式であっても頑なに守り続けておられるんですね。
きらり屋:現在は申請されたデータを月に1回、日本ハイスコア協会のサイトで公開しています。どのゲームが遊ばれていて、どんなスコアがわかります。また、新たに集計してほしいゲームの要望なども受け付けています。
【JHA通信20230820】2023年7月17日時点のハイスコアを公開しました。ご確認ください!https://t.co/U0nrPcUOaU
— 日本ハイスコア協会 (@JHA_information) August 20, 2023
課題はアナログな集計方法と過去データの整理
──今回のインタビューのきっかけは、ハイスコア競争を「eスポーツ」という側面から考えられるかということでした。例えば昨今のRTAイベントのように、eスポーツではないけれど競争を見せる、という方法もあるかもしれません。ハイスコアシーンもエンタメとして見せるようなことは可能なのでしょうか?
松浦:「わっしょい!」というシューティングゲームのトッププレイヤーのプレイを観覧するイベントが、2008年から不定期で開催されています。1回目からチケットが即座に完売するほどの人気ぶりでした。また、近年は東京のゲームセンター・高田馬場ゲーセンミカドinオアシスプラザがシューティングゲームの動画配信を行っていますが、一定数の視聴者が存在します。
2023年3月中旬~4月下旬にかけて、数日おきに配信された「春のシューティング祭り2023」は、各回1〜3万程度の再生数がついています。
だったら配信イベントをどんどんやれば盛り上がるのかと言えば、そう簡単にはいきません。アーケードゲームの弱点として、「プレイ環境を作るのが難しい」という問題があります。
アーケードゲームの基板は、家庭用のソフトに比べると高価で、出回っている数も少ないです。しかも筐体やコントロールパネルを準備する必要がありますし、作品によっては特殊な改造装置(連射機能など)を使用しなければベストなパフォーマンスが出せません。現実的に、定期的かつ高度なプレイを伴うイベントを開催できるのは、ミカドのような店舗に限られてきます。
──今回、アーケードゲームでハイスコアを目指すという遊び方を初めて知った方に向けて、挑戦する楽しさなどを教えていただけますか?
松浦:自分のプレイを見直しながら、少しずつ創意工夫をしてスコアを伸ばしていく作業は、新しいことを少しずつ身に付けていく達成感があると思います。
まずは「こうやれば安全に進められる」という攻略パターンをつくって、それが安定してきたら、次は「もっとスコアを稼げる」パターンを作って試してみる。プレイが安定しないようなら、どうすればいいか考える。うまくいかなければ悩ましいし、うまくいけば楽しくなります。
きらり屋:時には人のプレイを見て「そういう考え方があったのか!」と驚きつつも、そこから「これを自分なりに改良するとしたら……」と考えます。そういう作業を細かく繰り返しながら、少しずつスコアが伸びていく。この達成感は他では味わえない充実感があると思います。
──たとえば、最近遊び始めたゲームがあったとして、それでなかなかのいいスコアを出した! というとき、それがランキング的に何位くらいなのかはすぐわかるのでしょうか?
松浦:現状の仕組みでは調べていかないとわからないですね。今のハイスコア集計はネットで公表しているにもかかわらず、そういった検索やソートなどの機能がないので、個別に遡っていくしかないんです。当初の予定ではそこまでやる予定だったのですが、いろいろ難題があって……。本当はそこまでやりたい、という気持ちはもちろんあります。
きらり屋:理想で言えば、自分のアカウントを作ってゲームごとに申請したスコアが今何位なのか検索・ソートすればすぐわかる、みたいな仕組みがいいですよね。去年までは10位だったのに20位以下になっている! とか分かれば、また10位以内に入れるようにがんばろう、と盛り上がれそうですし。ただ、そういったシステム作りはちょっと現状では難しく……私たちはただの任意団体でしかないので。
令和のハイスコア文化のあり方とは
──今後、日本ハイスコア協会としてこうしたい、というような取り組みはございますか?
松浦:さっき「ウソスコ」を修正してほしいという連絡があった、という話をしましたが、実は一つ気になっていることがあるんです。NEOGEO(SNKによるアーケード規格。ゲームはカートリッジで供給されて値段も安くゲームセンター側としては扱いやすい商品だった)のゲームは全部集計し直したいなと、密かに思っているんです。
──全部、ですか?
松浦:NEOGEOの全盛期だった90年代中ごろまでは集計ルールが現在の形と異なっており、ありとあらゆる筐体の改造が許容されていました。
たとえば、レバーの入力をボタンで行えるようにコントロールパネルを改造し、メーカー側が意図していない特殊な挙動を生み出すとか。近年のeスポーツシーンでも話題になった、レバーレスコントローラーをめぐる問題に似たものが30年前にも起きていたんですね。
こういった筐体改造を使って出したスコアは記録として残しつつ、それとは別に無改造部門を設けて集計すれば、挑戦してくれるプレイヤーさんは多いと思うんです。
今ならまだ、レトロゲームと中心とした店舗にはNEOGEO筐体はありますし、新たに盛り上げることができるのではないか、と。この記事を読んでいる皆さんにも、ぜひ賛成反対いろいろな意見をいただきたいです。
きらり屋:私自身もぜひやってみたいと思っています。スコアラーさんの意見もおうかがいしたいですね。
松浦:今後、この日本ハイスコア協会はどうしていくべきなのかという問題は、ずっと我々の間でも話し続けています。どこかきちんと引き継いでくれるところがあれば話し合う準備はあります。家庭用ゲーム機も集計してほしいという声もありますし、そういったものも含めて何らかの形でスコア集計を続けていくのかどうなのか……。
ハイスコア文化はゲームセンターと一緒に滅び行く文化だ、という意見もあり、我々もどうするのがベストなのか、日々検討しています。
きらり屋:私としては、40年前からずっとプレイしてスコア申請している人も安心してスコアを送ることができる形を残してほしいな、と思っています。今後引き継いでやっていただく方がちょっとでもその形を残してくれるなら、「どうぞお願いします!」ですね。
ぜひこの文化を新しい形でどこかに引き継いでほしいと思っていますし、それまでは私たちが責任を持ってハイスコア集計を続けていきます。
※ ※ ※
当時のゲームセンターを知る人たちにとっては当たり前に思えるかもしれないが、やはりアナログでの申請という方法は、現実的に維持することはできても、新しい挑戦者を集めるには敷居が高すぎるだろう。オンライン通信が当たり前の現在では、家庭用ゲーム機やSteamなどでは、ゲーム側の機能として世界何位なのかが瞬時にわかる仕組みもある。
ただ、ゲームのアップデートも行われず、通信機能もなかった時代のアーケード筐体を使って、全国に存在する見えないライバルたちとたったひとつの数字をかけて競い合うというハイスコア文化の面白さは、いまも変わらず存在する。ホームのゲーセンでは敵なしでも、隣町に遠征したらまったく太刀打ちできなかった、といったケースも多々あった。
フィルムカメラが若者の間で流行しているように、古くて新しいアーケードゲームの魅力が再燃する可能性もないとは言えない。そして、若者にとって古いゲームは、触れたこともないまったく新しいゲームと同義だ。レトロゲームも「アケアカ」をはじめ、Switch用の「プロジェクトEGG」もリリースされるなど、いままた見直されてきている。
日本ハイスコア協会の取り組みは、間違いなく「eスポーツ」のいちカテゴリーになりうるものだとは思う。そのために必要な課題はたくさんあるが、願わくば現在もなお抜かれない全一プレイヤーたちの功績を、日本ハイスコア協会には今後も守り続けていってほしい。
インタビュー・執筆:松井ムネタツ
編集・撮影:宮下英之
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