【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
【女子ゲーマー飛躍の歴史・第五話】幼児向けゲーム機の誕生
こんにちは、野安ゆきおと申します。前回に引き続き、野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」第五話がはじまりました!
ここからは後半戦。家庭の中で女子たちがゲームにふれる環境が整っていった歴史を説明いたします。
どうぞお楽しみに!
ここまで4回にわたり、1990年代の女子が、街の中でさまざまなデジタル・エンタテインメントにふれるようになった歴史について説明してきました。
ここからは後半戦。家庭の中で女子たちがゲームにふれる環境が整っていった歴史を説明いたします。となれば、まずは「キッズコンピュータ・ピコ」(1993年)について解説する必要があるでしょう。
多くの方は、名前すら聞いたこともないかもしれません。しかし、もしあなたが現在20代〜30代ならば、けっこうな確率で「実際にふれたことがある」はずですよ。
というのも、「キッズコンピュータ・ピコ」は、日本で初めて大ヒットを記録した幼児向けの据え置きゲーム機なんです。およそ10年に渡ってロングランセールスを記録し、その総販売台数は300〜500万台と言われています。
子どもが成長すると遊ばれなくなるため、ゲーム機本体やソフトは親戚の子ども、あるいは近所の子どもなどに譲られていくことが多かったようです。1台のマシンが複数の家庭を渡り歩いていったんですね。また幼稚園や保育園など、多くの子どもたちがふれる環境にも置かれていたこともあったようです。
このため「キッズコンピュータ・ピコ」を体験したことのある方は、おそらく1000万人を超えるだろうと言われています。幼児しかプレイしていないことを考慮すると、とてつもない数字です。じつはこの「キッズコンピュータ・ピコ」は1990年代を代表する、隠れた大ヒットゲーム機なんですね。
日本では母親が幼児の世話をすることが一般的です。自分の子どもにどのようなオモチャを与えるかについて、母親が決定権を持つ場合が多いでしょう。
だからこそ、それ以前のファミコンの時代には、テレビゲーム害悪論が根強く残っていたんですね。母親たちが「目に悪い」「健康に悪い」「教育に悪い」といった意見を持っていて、だからそれらの情報が根拠もないまま新聞・テレビなどで発信されていたのです。多くの母親たちは、自分の子どもたちがゲームをプレイすることを奨励しなかったし、はやくゲームを卒業してくれないかな、とすら思っていたんですね。
そんな中「キッズコンピュータ・ピコ」はロングランセールスを記録することになるのです。1990年代には、1000万人の幼児ユーザーの母親たちが、自分の子どもたちにゲーム機を与えていたというデータが残っているわけですね。
つまり、1990年代から2000年代序盤までの間に、母親たちのゲームに対する風向きがガラリと変わったってことなんですね。
「うちの子は小さい頃、ゲームさせてたの。静かにしてくれて助かったわ」
「じゃ、今度子どもが産まれるから、うちに譲ってよ」
みたいな会話とともにゲーム機が家庭を渡り歩き、子どもがゲームをプレイすることを許容する人たちが、どんどん増えていったのでしょう。1990年代というのは、そういう変化が訪れた時代だったんですね。
「キッズコンピュータ・ピコ」は、こうして多くの家庭を渡り歩きました。
なので、あなたが現在20代〜30代ならば、それは90年代〜00年代に幼児だったということなので、けっこうな確率で「実際にふれたことがある」はずなんです。あまりに小さいときのことだから覚えていないだけのことです。
いま、若いおかあさんの中には、自分の子どもにスマホを渡し、YouTubeなどを見せて静かにさせる人がいます。電車の中やレストランなどで、よく見る光景です。
このおかあさんたちも、ちょうど1990年代に子ども時代を過ごしてきた世代です。「ポケベル」や「たまごっち」などのデジタル機器を女子が楽しむ姿を、物心ついたときから見てきた初の世代ですね。そして、ちょうど1990年代から2000年代初頭まで現役マシンであり続けた「キッズコンピュータ・ピコ」を、幼児期にプレイしていた世代でもあるのですよ。
たぶん、おかあさん自身は、そんな昔のことを覚えていないでしょう。
でも、自分が小さいとき、ゲームを与えられて静かにしていた経験がある世代なんですよ。それがいま、自分の子どもたちにデジタルなものを与え、静かにさせているわけですね。いまも、若いおかあさんたちが、自分の子どもにスマホを扱わせることに抵抗感が薄いことの理由は、こんなところにあるのかもしれません。
ここからは後半戦。家庭の中で女子たちがゲームにふれる環境が整っていった歴史を説明いたします。
どうぞお楽しみに!
キッズ向けコンピュータの登場
ここまで4回にわたり、1990年代の女子が、街の中でさまざまなデジタル・エンタテインメントにふれるようになった歴史について説明してきました。
ここからは後半戦。家庭の中で女子たちがゲームにふれる環境が整っていった歴史を説明いたします。となれば、まずは「キッズコンピュータ・ピコ」(1993年)について解説する必要があるでしょう。
多くの方は、名前すら聞いたこともないかもしれません。しかし、もしあなたが現在20代〜30代ならば、けっこうな確率で「実際にふれたことがある」はずですよ。
というのも、「キッズコンピュータ・ピコ」は、日本で初めて大ヒットを記録した幼児向けの据え置きゲーム機なんです。およそ10年に渡ってロングランセールスを記録し、その総販売台数は300〜500万台と言われています。
子どもが成長すると遊ばれなくなるため、ゲーム機本体やソフトは親戚の子ども、あるいは近所の子どもなどに譲られていくことが多かったようです。1台のマシンが複数の家庭を渡り歩いていったんですね。また幼稚園や保育園など、多くの子どもたちがふれる環境にも置かれていたこともあったようです。
このため「キッズコンピュータ・ピコ」を体験したことのある方は、おそらく1000万人を超えるだろうと言われています。幼児しかプレイしていないことを考慮すると、とてつもない数字です。じつはこの「キッズコンピュータ・ピコ」は1990年代を代表する、隠れた大ヒットゲーム機なんですね。
ピコは、母親たちの「ゲームへの忌避感」を消していった
日本では母親が幼児の世話をすることが一般的です。自分の子どもにどのようなオモチャを与えるかについて、母親が決定権を持つ場合が多いでしょう。
だからこそ、それ以前のファミコンの時代には、テレビゲーム害悪論が根強く残っていたんですね。母親たちが「目に悪い」「健康に悪い」「教育に悪い」といった意見を持っていて、だからそれらの情報が根拠もないまま新聞・テレビなどで発信されていたのです。多くの母親たちは、自分の子どもたちがゲームをプレイすることを奨励しなかったし、はやくゲームを卒業してくれないかな、とすら思っていたんですね。
そんな中「キッズコンピュータ・ピコ」はロングランセールスを記録することになるのです。1990年代には、1000万人の幼児ユーザーの母親たちが、自分の子どもたちにゲーム機を与えていたというデータが残っているわけですね。
つまり、1990年代から2000年代序盤までの間に、母親たちのゲームに対する風向きがガラリと変わったってことなんですね。
「うちの子は小さい頃、ゲームさせてたの。静かにしてくれて助かったわ」
「じゃ、今度子どもが産まれるから、うちに譲ってよ」
みたいな会話とともにゲーム機が家庭を渡り歩き、子どもがゲームをプレイすることを許容する人たちが、どんどん増えていったのでしょう。1990年代というのは、そういう変化が訪れた時代だったんですね。
「子どもにゲームを遊ばせる」という歴史の連なり
「キッズコンピュータ・ピコ」は、こうして多くの家庭を渡り歩きました。
なので、あなたが現在20代〜30代ならば、それは90年代〜00年代に幼児だったということなので、けっこうな確率で「実際にふれたことがある」はずなんです。あまりに小さいときのことだから覚えていないだけのことです。
いま、若いおかあさんの中には、自分の子どもにスマホを渡し、YouTubeなどを見せて静かにさせる人がいます。電車の中やレストランなどで、よく見る光景です。
このおかあさんたちも、ちょうど1990年代に子ども時代を過ごしてきた世代です。「ポケベル」や「たまごっち」などのデジタル機器を女子が楽しむ姿を、物心ついたときから見てきた初の世代ですね。そして、ちょうど1990年代から2000年代初頭まで現役マシンであり続けた「キッズコンピュータ・ピコ」を、幼児期にプレイしていた世代でもあるのですよ。
たぶん、おかあさん自身は、そんな昔のことを覚えていないでしょう。
でも、自分が小さいとき、ゲームを与えられて静かにしていた経験がある世代なんですよ。それがいま、自分の子どもたちにデジタルなものを与え、静かにさせているわけですね。いまも、若いおかあさんたちが、自分の子どもにスマホを扱わせることに抵抗感が薄いことの理由は、こんなところにあるのかもしれません。
【野安ゆきおプロフィール】
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
- 【短期集中連載・女子ゲーマー飛躍の歴史 第一話】みなさんのおかあさんが、日本の初代ゲーム女子!?
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第二話】「ポケベル」を手にしたジャンヌ・ダルク
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- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第四話】ゲーム大会という巨大なお祭りの誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第五話】幼児向けゲーム機の誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第六話】プレイステーションは女子ゲーマーにとっての福音だった
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