【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
【女子ゲーマー飛躍の歴史・第六話】プレイステーションは女子ゲーマーにとっての福音だった
こんにちは、野安ゆきおと申します。前回に引き続き、野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」第六話がはじまりました!
第六話は、世界を席巻するゲーム機「プレイステーション」についてお話ししていきましょう。
どうぞお楽しみに!
1994年のことです。「ポケベル」「たまごっち」「プリント倶楽部」など、1990年代の女子たちがデジタルなものに強い興味を示しつつある中、後に全世界を席巻する「プレイステーション」(以下、プレステ)が登場します。
じつはプレステは、完全に女子をターゲットとして狙っていたマシンでもありました。
それは本体サイズからも見て取ることができます。いまでこそ、プレステはテレビの横にある「どっしりとしたゲーム機」というイメージが強いマシンですが、初代だけは違う。A4の封筒にすっぽりと入るよう、限界まで小型化されているのですね。
そこにはお盆や正月に実家に帰るときや、友だちの家に行くとき、ゲーム機ごと持って行って遊んでほしい。ゲームにふれる人を増やしてほしい。といったメッセージが込められていたわけですが、じつはそれだけではないんですよ。
私はこの頃からキッズ向けや女児向けのゲームなどの書籍を担当するようになっていて、ゲーム専門メディアだけでなく、一般のビジネス誌やトレンド誌の記事も書くようになっていました。そういう媒体のスタッフとしてプレステの取材に行くと、広報さんたちの態度がガラリと変わって、ゲーム専門誌とは違う話を教えてくれたものです。
「彼女の部屋に行くとき、プレステごと持って行ってほしいという意味もあるんですよ」
「なので、カップルでゲームを遊ぼう、みたいな方向の記事をおねがいします」
当時のゲーム機は高価でした。プレステ発売当初の価格は39,800円。あまりゲームに詳しくない人にとっては買うのに躊躇する値段であり、なかなか若い女子たちにふれてもらうことはできません。
そこで「彼氏がゲーム機を持って遊びに行く」ことを促すため、ちょっとしたバッグに入れられるようなサイズにしたんですね。これ、それなりに本当の話ですよ。当時の広報さんから聞いたもん。
女子にふれてもらうための戦略は、それだけではありません。それまでのゲーム機とは違い、プレステはおもちゃ屋だけでなく、日本全国のCDショップにも並べられました。スタイリッシュな展示とともに販売されたんです。
1990年代は、音楽CDの黄金時代です。765万枚という日本歴代トップセールスを記録した宇多田ヒカルの「First Love」が発売されたのがこの時期ですね。当時の音楽CDショップは、流行に敏感な若者たちが集まるスポットであり、デートコースの一部でもあったのです。
プレステは、そんな場所で販売されたんです。いまでこそ当たり前の光景ではありますが、カップルでゲームソフトを買いに来る人たちも出始めるようになりました。それまでのゲーム売り場にそんな姿はなく、初めて目撃したときは衝撃的だったことを、いまでも覚えています。
するとソフトの中身も、女性に愛されるようどんどん変化していきます。
その代表が『パラッパラッパー』(1996年)や『どこでもいっしょ』(1999年)です。可愛くてポップなキャラクターが次々と生み出され、高い女子人気を獲得していくのです。その主人公・井上トロは、いまなおプレステ文化を象徴するキャラクターとして生き残っていますよね。
こうしてゲームに親しんだ女子の存在が、ヒットするゲームを左右するような時代が到来することになるのです。
余談ですが、これは日本と欧米のゲームが、いったん分岐した瞬間でもあります。女子ユーザーが大量に存在した日本ではかわいいキャラクターを活用したゲームが人気を得る一方、まだ女子ユーザーが少数派であった欧米は、ガチな男子ゲーマーたちに愛されるゲームが次々に誕生します。その中からFPSというジャンルが生まれ、それが進化・発展することで、プレイヤー同士が攻撃しあうことで勝負を決するという、いまのeスポーツの原型が誕生するようになるのですね。
さて話を戻しましょう。
プレステのヒットは、以前からテレビゲームを楽しんできた女子ゲーマーにとっての福音でもありました。かつて、女子ゲーマーたちは虐げられていました。
「女がゲームやってんじゃねぇよ」
「女がゲーセン来てんじゃねえよ」
みたいな声を、クラスの男子から声を浴びせられることも珍しくなかったのです。親から「女の子なのに、いつまでゲームなんかに夢中になってるの?」と諭されることすらあったほどです。ひどい話ですよね。
大人の女子ゲーマーになると、さらに肩身は狭かったらしく、けっこうな比率で「嫌われたくないから、ゲーム好きであることは彼氏には秘密にしてます」と言っていたものです。これは日本だけの話ではなく、女子がゲーム好きであることを周囲に公言しにくい空気が、世界中に満ちていたんですね。ほんとひどい話です。
しかし、プレステがそんな空気を変えていくのです。
なんといっても、このプレステはデートコースに置かれているゲーム機でしたからね。「女子が親しんでもいいんだよ!」と全力でアピールしているゲーム機でもあります。こうした空気に後押しされ、女子が堂々と「趣味はゲームです」とカミングアウトできる時代が、徐々に訪れるようになるのですね。
これはデータ上もはっきりとわかっています。プレステ登場以前、ゲーム雑誌の女性読者比率は20%くらいでしたが、それから20数年たったいま、全世界の女性ユーザー比率は格段に増え、いまでは46%が女子だと言われるまでになりました。1990年代を機に、女性ゲーマーが増加していく歴史がスタートすることになるのです。
第六話は、世界を席巻するゲーム機「プレイステーション」についてお話ししていきましょう。
どうぞお楽しみに!
世界を席巻するゲーム機・プレイステーションの登場
1994年のことです。「ポケベル」「たまごっち」「プリント倶楽部」など、1990年代の女子たちがデジタルなものに強い興味を示しつつある中、後に全世界を席巻する「プレイステーション」(以下、プレステ)が登場します。
じつはプレステは、完全に女子をターゲットとして狙っていたマシンでもありました。
それは本体サイズからも見て取ることができます。いまでこそ、プレステはテレビの横にある「どっしりとしたゲーム機」というイメージが強いマシンですが、初代だけは違う。A4の封筒にすっぽりと入るよう、限界まで小型化されているのですね。
そこにはお盆や正月に実家に帰るときや、友だちの家に行くとき、ゲーム機ごと持って行って遊んでほしい。ゲームにふれる人を増やしてほしい。といったメッセージが込められていたわけですが、じつはそれだけではないんですよ。
私はこの頃からキッズ向けや女児向けのゲームなどの書籍を担当するようになっていて、ゲーム専門メディアだけでなく、一般のビジネス誌やトレンド誌の記事も書くようになっていました。そういう媒体のスタッフとしてプレステの取材に行くと、広報さんたちの態度がガラリと変わって、ゲーム専門誌とは違う話を教えてくれたものです。
「彼女の部屋に行くとき、プレステごと持って行ってほしいという意味もあるんですよ」
「なので、カップルでゲームを遊ぼう、みたいな方向の記事をおねがいします」
当時のゲーム機は高価でした。プレステ発売当初の価格は39,800円。あまりゲームに詳しくない人にとっては買うのに躊躇する値段であり、なかなか若い女子たちにふれてもらうことはできません。
そこで「彼氏がゲーム機を持って遊びに行く」ことを促すため、ちょっとしたバッグに入れられるようなサイズにしたんですね。これ、それなりに本当の話ですよ。当時の広報さんから聞いたもん。
デートスポットをゲーム売り場に変貌させた
女子にふれてもらうための戦略は、それだけではありません。それまでのゲーム機とは違い、プレステはおもちゃ屋だけでなく、日本全国のCDショップにも並べられました。スタイリッシュな展示とともに販売されたんです。
1990年代は、音楽CDの黄金時代です。765万枚という日本歴代トップセールスを記録した宇多田ヒカルの「First Love」が発売されたのがこの時期ですね。当時の音楽CDショップは、流行に敏感な若者たちが集まるスポットであり、デートコースの一部でもあったのです。
プレステは、そんな場所で販売されたんです。いまでこそ当たり前の光景ではありますが、カップルでゲームソフトを買いに来る人たちも出始めるようになりました。それまでのゲーム売り場にそんな姿はなく、初めて目撃したときは衝撃的だったことを、いまでも覚えています。
するとソフトの中身も、女性に愛されるようどんどん変化していきます。
その代表が『パラッパラッパー』(1996年)や『どこでもいっしょ』(1999年)です。可愛くてポップなキャラクターが次々と生み出され、高い女子人気を獲得していくのです。その主人公・井上トロは、いまなおプレステ文化を象徴するキャラクターとして生き残っていますよね。
こうしてゲームに親しんだ女子の存在が、ヒットするゲームを左右するような時代が到来することになるのです。
余談ですが、これは日本と欧米のゲームが、いったん分岐した瞬間でもあります。女子ユーザーが大量に存在した日本ではかわいいキャラクターを活用したゲームが人気を得る一方、まだ女子ユーザーが少数派であった欧米は、ガチな男子ゲーマーたちに愛されるゲームが次々に誕生します。その中からFPSというジャンルが生まれ、それが進化・発展することで、プレイヤー同士が攻撃しあうことで勝負を決するという、いまのeスポーツの原型が誕生するようになるのですね。
女子ゲーマーのカミングアウトが促された
さて話を戻しましょう。
プレステのヒットは、以前からテレビゲームを楽しんできた女子ゲーマーにとっての福音でもありました。かつて、女子ゲーマーたちは虐げられていました。
「女がゲームやってんじゃねぇよ」
「女がゲーセン来てんじゃねえよ」
みたいな声を、クラスの男子から声を浴びせられることも珍しくなかったのです。親から「女の子なのに、いつまでゲームなんかに夢中になってるの?」と諭されることすらあったほどです。ひどい話ですよね。
大人の女子ゲーマーになると、さらに肩身は狭かったらしく、けっこうな比率で「嫌われたくないから、ゲーム好きであることは彼氏には秘密にしてます」と言っていたものです。これは日本だけの話ではなく、女子がゲーム好きであることを周囲に公言しにくい空気が、世界中に満ちていたんですね。ほんとひどい話です。
しかし、プレステがそんな空気を変えていくのです。
なんといっても、このプレステはデートコースに置かれているゲーム機でしたからね。「女子が親しんでもいいんだよ!」と全力でアピールしているゲーム機でもあります。こうした空気に後押しされ、女子が堂々と「趣味はゲームです」とカミングアウトできる時代が、徐々に訪れるようになるのですね。
これはデータ上もはっきりとわかっています。プレステ登場以前、ゲーム雑誌の女性読者比率は20%くらいでしたが、それから20数年たったいま、全世界の女性ユーザー比率は格段に増え、いまでは46%が女子だと言われるまでになりました。1990年代を機に、女性ゲーマーが増加していく歴史がスタートすることになるのです。
【野安ゆきおプロフィール】
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
- 【短期集中連載・女子ゲーマー飛躍の歴史 第一話】みなさんのおかあさんが、日本の初代ゲーム女子!?
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第二話】「ポケベル」を手にしたジャンヌ・ダルク
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第三話】1990年代、ゲームセンターがデートスポットへと変化した
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第四話】ゲーム大会という巨大なお祭りの誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第五話】幼児向けゲーム機の誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第六話】プレイステーションは女子ゲーマーにとっての福音だった
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第七話】ナチュラルボーン・ゲーム女子の誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・最終話】1990年代のムーブメントは、現在にも繋がっている
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