【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
【女子ゲーマー飛躍の歴史・第四話】ゲーム大会という巨大なお祭りの誕生
こんにちは、野安ゆきおと申します。前回に引き続き、野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」第四話がはじまりました!
今回は『バーチャーファイター』が切り開いた「巨大なお祭り」についてお話ししていきましょう。
どうぞお楽しみに!
1990年代中盤。『バーチャファイター』が巨大なムーブメントを巻き起こします。ひとことでいうと、それは「巨大なお祭り」でした。
「地名+使用キャラ」の通り名を持つ凄腕プレイヤーたちが、「バーチャの鉄人」と呼ばれるようになり、ひとたび彼らが対戦するという話題が伝わると、それこそ日本全国からゲームファンたちが、ひとつのゲームセンターに終結しちゃったんです。とんでもない熱気になったんですね。
とはいえ、ここはゲーム女子たちの歴史を語るコーナーなので、その詳細について語るのはやめておきましょう。大事なのは、あの時代のゲームセンターの空気です。
これまで3回にわたって書いてきましたが、当時のゲームセンターは「女子を顧客として引き込もう」と健全な雰囲気を出すことに全力を上げていました。「プリント倶楽部」や「音ゲー」などを大量に導入され、ゲームセンターはデートスポットになりつつあったわけです。
その一方で、ガチなゲーマーたちによる対戦が日本中のゲーマーたちを引き付ける「バーチャの鉄人」のムーブメントも同時に発生しちゃったんですね。
完全に相反する、ふたつのムーブメントがゲームセンターで激突したってことです。現場を知る者として、そのカオスっぷりはなかなか楽しかったことを、いまでもよく覚えています。ほんと、あの頃のゲーセンは楽しい場所でした。
女子が訪れるようになった空間で、ガチなゲーマーたちによる頂上決戦がお祭りのように行われたことにより、そこには大きな変化が訪れます。
あくまでも、これは噂話として聞いた話ですが、あの当時、凄腕プレイヤーたちには女子のファンが誕生するようになったみたいですね。中には、そんなファンの中から好みの女の子と意気投合して、恋愛に発展したとかしないとか……。それが本当かどうかは知りません。
何度も言いますが、ただの「聞いた話」です。
でも大事なのは、そういう噂話が、まことしやかに聞こえてきたことにあるんですよ。いまでこそ人気のゲーム実況者にはファンがいるし、大会で優勝賞金を獲得していくプレイヤーにはファンがいます。ゲームがうまければモテる(あるいは、モテる確率が上がる)というのは当然のことでもあるでしょう。
でも、それと同じ空気が、じつは1990年代の日本で、すでに生まれていたんですね。
じつはこれ、全世界に先駆けて、おそらく日本だけで起きた現象です。「凄腕プレイヤーが、女子がたくさんいる場で技を披露する」というシチュエーションは、日本以外の場では発生しなかったからです。
そのころ、欧米でもゲーム大会は行われるようになっていました。
それらはLANパーティーと呼ばれました。LANとは「ローカル・エリア・ネットワーク」のこと。参加者は、自宅にあるデスクトップPCを会場に持ち込み、それらを有線ケーブルで繋いで対戦ゲームを楽しむ形でゲーム大会が行われていたのです。
それらは完全に「男の子のための秘密基地」的な空間として発展することになりました。
そう、昔の日本のゲームセンターと同じです。そこにはガチなゲーム好きしかいないんですよ。そんな大会が進化・発展をしていくうちに、ひたすら強い奴を決めるためのガチな大会へと進化し、競技性が重んじられるようになったんですね。これが現在の全世界的なeスポーツの原型になるのです。
一方の日本では、女子たちがたくさんいるような空間でゲームの試合が行われたため、華々しいお祭りとしての空気感が強くなったんですね。だから競技性が重んじられる方向へと進化しなかったんだろうな、と私は思っています。あくまでも個人的な意見ですが。
ただそのかわり、親子でゲームを楽しむ大会であるとか、小さな子どもたちによる大会など、「誰もが楽しめるお祭り」のような形でのゲーム大会が、いまなお開催されるようになり、独自のゲーム大会文化が誕生するわけですね。
ポイントは「そこに女子がいたかどうか」
それによって、欧米と日本では、その後の進化の方向が変わったということです。
女子がいなかった(少なかった)欧米では、ゲーム大会はストイックな戦いの場となり、それはスポーツになった。そして女子がたくさんいた日本では、それは誰もが参加できるお祭りとしての側面を強めていくようになり、その後の歴史が変わっていったんですね。
今回は『バーチャーファイター』が切り開いた「巨大なお祭り」についてお話ししていきましょう。
どうぞお楽しみに!
ふたつのムーブメントが正面衝突した時代
1990年代中盤。『バーチャファイター』が巨大なムーブメントを巻き起こします。ひとことでいうと、それは「巨大なお祭り」でした。
「地名+使用キャラ」の通り名を持つ凄腕プレイヤーたちが、「バーチャの鉄人」と呼ばれるようになり、ひとたび彼らが対戦するという話題が伝わると、それこそ日本全国からゲームファンたちが、ひとつのゲームセンターに終結しちゃったんです。とんでもない熱気になったんですね。
とはいえ、ここはゲーム女子たちの歴史を語るコーナーなので、その詳細について語るのはやめておきましょう。大事なのは、あの時代のゲームセンターの空気です。
これまで3回にわたって書いてきましたが、当時のゲームセンターは「女子を顧客として引き込もう」と健全な雰囲気を出すことに全力を上げていました。「プリント倶楽部」や「音ゲー」などを大量に導入され、ゲームセンターはデートスポットになりつつあったわけです。
その一方で、ガチなゲーマーたちによる対戦が日本中のゲーマーたちを引き付ける「バーチャの鉄人」のムーブメントも同時に発生しちゃったんですね。
完全に相反する、ふたつのムーブメントがゲームセンターで激突したってことです。現場を知る者として、そのカオスっぷりはなかなか楽しかったことを、いまでもよく覚えています。ほんと、あの頃のゲーセンは楽しい場所でした。
凄腕ゲーマーが「モテる」時代の到来
女子が訪れるようになった空間で、ガチなゲーマーたちによる頂上決戦がお祭りのように行われたことにより、そこには大きな変化が訪れます。
あくまでも、これは噂話として聞いた話ですが、あの当時、凄腕プレイヤーたちには女子のファンが誕生するようになったみたいですね。中には、そんなファンの中から好みの女の子と意気投合して、恋愛に発展したとかしないとか……。それが本当かどうかは知りません。
何度も言いますが、ただの「聞いた話」です。
でも大事なのは、そういう噂話が、まことしやかに聞こえてきたことにあるんですよ。いまでこそ人気のゲーム実況者にはファンがいるし、大会で優勝賞金を獲得していくプレイヤーにはファンがいます。ゲームがうまければモテる(あるいは、モテる確率が上がる)というのは当然のことでもあるでしょう。
でも、それと同じ空気が、じつは1990年代の日本で、すでに生まれていたんですね。
じつはこれ、全世界に先駆けて、おそらく日本だけで起きた現象です。「凄腕プレイヤーが、女子がたくさんいる場で技を披露する」というシチュエーションは、日本以外の場では発生しなかったからです。
欧米のゲーム大会には女子が少なかった
そのころ、欧米でもゲーム大会は行われるようになっていました。
それらはLANパーティーと呼ばれました。LANとは「ローカル・エリア・ネットワーク」のこと。参加者は、自宅にあるデスクトップPCを会場に持ち込み、それらを有線ケーブルで繋いで対戦ゲームを楽しむ形でゲーム大会が行われていたのです。
それらは完全に「男の子のための秘密基地」的な空間として発展することになりました。
そう、昔の日本のゲームセンターと同じです。そこにはガチなゲーム好きしかいないんですよ。そんな大会が進化・発展をしていくうちに、ひたすら強い奴を決めるためのガチな大会へと進化し、競技性が重んじられるようになったんですね。これが現在の全世界的なeスポーツの原型になるのです。
一方の日本では、女子たちがたくさんいるような空間でゲームの試合が行われたため、華々しいお祭りとしての空気感が強くなったんですね。だから競技性が重んじられる方向へと進化しなかったんだろうな、と私は思っています。あくまでも個人的な意見ですが。
ただそのかわり、親子でゲームを楽しむ大会であるとか、小さな子どもたちによる大会など、「誰もが楽しめるお祭り」のような形でのゲーム大会が、いまなお開催されるようになり、独自のゲーム大会文化が誕生するわけですね。
ポイントは「そこに女子がいたかどうか」
それによって、欧米と日本では、その後の進化の方向が変わったということです。
女子がいなかった(少なかった)欧米では、ゲーム大会はストイックな戦いの場となり、それはスポーツになった。そして女子がたくさんいた日本では、それは誰もが参加できるお祭りとしての側面を強めていくようになり、その後の歴史が変わっていったんですね。
【野安ゆきおプロフィール】
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
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- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第二話】「ポケベル」を手にしたジャンヌ・ダルク
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- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第四話】ゲーム大会という巨大なお祭りの誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第五話】幼児向けゲーム機の誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第六話】プレイステーションは女子ゲーマーにとっての福音だった
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