【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
【女子ゲーマー飛躍の歴史・第三話】1990年代、ゲームセンターがデートスポットへと変化した
こんにちは、野安ゆきおと申します。前回に引き続き、野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」第三話がはじまりました!
今回は1990年代におけるゲームセンターの変化について語っていきたいと思います。
どうぞお楽しみに!
1990年代中盤。当時の女子たち(いまの10〜20代の人たちのおかあさんの世代です)が、デジタル機器を遊び道具として使いこなすようになった時代に、ひとつの革命的な商品がゲームセンターに出現します。
「プリント倶楽部」(1995)、いわゆる「プリクラ」です。
写真を撮り、シールを作成できる機器ですね。いまなお脈々と人気を保ち続けるこの機器は、この時代に誕生しました。この「プリント倶楽部」誕生時に、ひとつの面白い逸話があります。
大きなゲーム展示会でのことです。初日の午前中、初出展された「ブリント倶楽部」は、まるで人気がありませんでした。来場者の大半はゲームセンターの経営者たちであり、みんないい歳をしたオッチャンたちだったので、「写真を撮るだけの機械がヒットするわけないよ(笑)」と無視したのです。
ところが昼頃になると、そこに長蛇の列が発生しました。
展示会の各ブースにはコンパニオンの女子たちがいます。彼女たちが休憩時間に控室に戻るとき、「すごく面白そうなものがある!」と気付き、それがコンパニオンの口コミで広まったのです。
そして昼休み。ご飯を食べるための長時間休憩のタイミングで、みんなが押しかけて大盛況になったのですね。
この行列を見てビックリしたのが、当初「プリント倶楽部」を無視していたオッチャンたちです。
「これは大注目商品じゃないか! 売れるぞ! ヒットするぞ!」
とコロリと手のひらを返し、我先にと自分のゲームセンターに導入するようになったのですね。こうして日本中のゲームセンターに「プリント倶楽部」が登場するようになったのです。
もし、あの展示会に女子コンパニオンがいなかったら、おそらく「プリント倶楽部」は世の中に出ることなく消え去ったことでしょう。あそこに女子がいたからこそ注目され、ヒットすることに成功したのですね。
「プリント倶楽部」の登場により、ゲームセンターの空気は一気に変わっていきます。
それまでのゲームセンターは、いわば男子のための秘密基地のようなものでした。疲れたサラリーマンが逃げ込む場でもあり、地域によっては不良がたむろする場でもありました。ほどよく淀んだ空気が漂っていて、とうてい女子たちが訪れるような空間ではなかったのです。もちろん、そんな空気の中、ガチでゲームを楽しんでいた女子もいましたけど……。
そんな空気を「プリント倶楽部」が吹き飛ばします。
ゲームセンターに、いわゆる普通の女の子が訪れるようになったのです。するとゲームセンターは、男女で訪れるデートコースに組み込まれ、一気に変貌していきます。「ポケベル」や「たまごっち」により、女子がデジタルなものを楽しむことに対する抵抗感がどんどん薄れていった時代だったことも、その機運を後押ししたのかもしれません。
その結果、昔ながらのガチなビデオゲームは、ゲームセンターの奥へと移動していきました。そして入り口近くの照明はどんどん明るくなり、大昔から存在していたクレーンゲームも『UFOキャッチャー』といったキャッチーな名前に変更され、それまでのようにお菓子をとるための機器ではなく、女子が好みそうなぬいぐるみを景品にするようになったのです。
こうして、あっという間にゲームセンターは男の子の秘密基地ではなくなり、女性も訪れることができるデートスポットへと変化していったのですね。
ゲームセンターでヒットするテレビゲームにも、変化が見られるようになりました。
その代表が『ビートマニア』(1997)、『ダンスダンスレボリューション』(1998)です。女子が訪れるようになったゲームセンターには、男女を問わず楽しめる「音ゲー」という巨大ジャンルが誕生するのです。
音ゲーが画期的だったのは、それまでのゲームの知識やノウハウを必要としなかったこと。しかも指先だけでなく身体全体を使うため、さほどうまくなくても、なんとなく楽しめるゲームでもあります。これが女子をはじめとする幅広い層を楽しませることに成功するのです。多くの音ゲーが入り口近くの目立つ場所に置かれるようになり、女性がゲーセンターでゲームを楽しむ姿が、日に日に増えていくようになるのです。
このためか、当時の繁華街にあるゲームセンターでは、「店内でのナンパ禁止」といった貼り紙が貼られたこともありました。
ゲームセンター内で男性が女性に声をかける行為が目立つようになったからでしょう。多くの女子がゲームセンターに足を運ぶ時代が到来したことを示す、なによりの証拠といえましょう。
こうして、多くの女子たちがゲームセンターに足を運ぶようになったわけですが、そこで、いまのeスポーツへと繋がるムーブメントが発生することになります。それが『バーチャファイター』です。次回、詳しくご説明しましょう。
今回は1990年代におけるゲームセンターの変化について語っていきたいと思います。
どうぞお楽しみに!
時代を動かしたのは女子コンパニオンだった
1990年代中盤。当時の女子たち(いまの10〜20代の人たちのおかあさんの世代です)が、デジタル機器を遊び道具として使いこなすようになった時代に、ひとつの革命的な商品がゲームセンターに出現します。
「プリント倶楽部」(1995)、いわゆる「プリクラ」です。
写真を撮り、シールを作成できる機器ですね。いまなお脈々と人気を保ち続けるこの機器は、この時代に誕生しました。この「プリント倶楽部」誕生時に、ひとつの面白い逸話があります。
大きなゲーム展示会でのことです。初日の午前中、初出展された「ブリント倶楽部」は、まるで人気がありませんでした。来場者の大半はゲームセンターの経営者たちであり、みんないい歳をしたオッチャンたちだったので、「写真を撮るだけの機械がヒットするわけないよ(笑)」と無視したのです。
ところが昼頃になると、そこに長蛇の列が発生しました。
展示会の各ブースにはコンパニオンの女子たちがいます。彼女たちが休憩時間に控室に戻るとき、「すごく面白そうなものがある!」と気付き、それがコンパニオンの口コミで広まったのです。
そして昼休み。ご飯を食べるための長時間休憩のタイミングで、みんなが押しかけて大盛況になったのですね。
この行列を見てビックリしたのが、当初「プリント倶楽部」を無視していたオッチャンたちです。
「これは大注目商品じゃないか! 売れるぞ! ヒットするぞ!」
とコロリと手のひらを返し、我先にと自分のゲームセンターに導入するようになったのですね。こうして日本中のゲームセンターに「プリント倶楽部」が登場するようになったのです。
もし、あの展示会に女子コンパニオンがいなかったら、おそらく「プリント倶楽部」は世の中に出ることなく消え去ったことでしょう。あそこに女子がいたからこそ注目され、ヒットすることに成功したのですね。
ゲームセンターは女子を呼び込むことを目指した
「プリント倶楽部」の登場により、ゲームセンターの空気は一気に変わっていきます。
それまでのゲームセンターは、いわば男子のための秘密基地のようなものでした。疲れたサラリーマンが逃げ込む場でもあり、地域によっては不良がたむろする場でもありました。ほどよく淀んだ空気が漂っていて、とうてい女子たちが訪れるような空間ではなかったのです。もちろん、そんな空気の中、ガチでゲームを楽しんでいた女子もいましたけど……。
そんな空気を「プリント倶楽部」が吹き飛ばします。
ゲームセンターに、いわゆる普通の女の子が訪れるようになったのです。するとゲームセンターは、男女で訪れるデートコースに組み込まれ、一気に変貌していきます。「ポケベル」や「たまごっち」により、女子がデジタルなものを楽しむことに対する抵抗感がどんどん薄れていった時代だったことも、その機運を後押ししたのかもしれません。
その結果、昔ながらのガチなビデオゲームは、ゲームセンターの奥へと移動していきました。そして入り口近くの照明はどんどん明るくなり、大昔から存在していたクレーンゲームも『UFOキャッチャー』といったキャッチーな名前に変更され、それまでのようにお菓子をとるための機器ではなく、女子が好みそうなぬいぐるみを景品にするようになったのです。
こうして、あっという間にゲームセンターは男の子の秘密基地ではなくなり、女性も訪れることができるデートスポットへと変化していったのですね。
世界を席巻する「音ゲー」の誕生
ゲームセンターでヒットするテレビゲームにも、変化が見られるようになりました。
その代表が『ビートマニア』(1997)、『ダンスダンスレボリューション』(1998)です。女子が訪れるようになったゲームセンターには、男女を問わず楽しめる「音ゲー」という巨大ジャンルが誕生するのです。
音ゲーが画期的だったのは、それまでのゲームの知識やノウハウを必要としなかったこと。しかも指先だけでなく身体全体を使うため、さほどうまくなくても、なんとなく楽しめるゲームでもあります。これが女子をはじめとする幅広い層を楽しませることに成功するのです。多くの音ゲーが入り口近くの目立つ場所に置かれるようになり、女性がゲーセンターでゲームを楽しむ姿が、日に日に増えていくようになるのです。
このためか、当時の繁華街にあるゲームセンターでは、「店内でのナンパ禁止」といった貼り紙が貼られたこともありました。
ゲームセンター内で男性が女性に声をかける行為が目立つようになったからでしょう。多くの女子がゲームセンターに足を運ぶ時代が到来したことを示す、なによりの証拠といえましょう。
こうして、多くの女子たちがゲームセンターに足を運ぶようになったわけですが、そこで、いまのeスポーツへと繋がるムーブメントが発生することになります。それが『バーチャファイター』です。次回、詳しくご説明しましょう。
【野安ゆきおプロフィール】
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
【連載】野安ゆきおが語る「女子ゲーマー飛躍の歴史」
- 【短期集中連載・女子ゲーマー飛躍の歴史 第一話】みなさんのおかあさんが、日本の初代ゲーム女子!?
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第二話】「ポケベル」を手にしたジャンヌ・ダルク
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第三話】1990年代、ゲームセンターがデートスポットへと変化した
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第四話】ゲーム大会という巨大なお祭りの誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第五話】幼児向けゲーム機の誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第六話】プレイステーションは女子ゲーマーにとっての福音だった
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・第七話】ナチュラルボーン・ゲーム女子の誕生
- 【女子ゲーマー飛躍の歴史・最終話】1990年代のムーブメントは、現在にも繋がっている
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