【連載】野安ゆきおが語る「東京ゲームショウの歴史」
【短期集中連載・東京ゲームショウの歴史 第一話】eスポーツが花開いた「東京ゲームショウ2019」
東京ゲームショウ2019は大盛況だった
突然ですがみなさん、今年の東京ゲームショウには行かれましたか?
会期4日間の総来場者数は26万2076人。これは全29回開催された東京ゲームショウの中で4番目に多い入場者数であり、大成功だったといっていい数字でした。
過去最高となった去年の東京ゲームショウ2018よりも3万人以上減っているため、「右肩下がりだった」といった記事を見かけたりすることもあるのですが、その分析は正しくありません。なぜなら「去年が異常だった」からです。2018年の東京ゲームショウは、もうすこし来場者が押しよせたら、危険防止のため入場規制するかも? というほどの大混雑だったんですよ。
現地を訪れた方は、背広を着た年配の方が「こちらに移動してくださーい」と誘導の声をあげている姿を見かけたかもしれません。来場者の誘導が追い付かず、運営サイドの偉い人が現場に駆り出されたからこそ生まれた光景です。去年は、ほんとギリギリで運営サイドが対応していたんですね。
それに比べると、2019年は危険を感じることなく、ちゃんと例年通りの来場者が訪れて盛り上がりました。そして過去4番目にいい数字を叩き出した。これは大成功といっていいんです。
とりわけ、今年の東京ゲームショウでは、「ついにeスポーツが日本に根差したぞ」と言わんばかりに、eスポーツ関連のイベントが多く、かなり楽しい4日間でした。昨年同様、eスポ—ツ専用の巨大ステージが2つ用意され、白熱の大会も開催されました。賞金総額も上がってきて、いろいろなメディアの注目度も上がってきました。みんながハッピーになった4日間だったんですね。
もともとは優れたソフトをアピールするために始まった
というわけで、そんな東京ゲームショウにまつわる歴史について短期集中連載を本日からスタートすることにいたします。
1996年に始まった東京ゲームショウが、いかにして「eスポ—ツの大会が大々的に盛り上がるほどのイベントになったのか」までを紹介していきます。よろしくおねがいします。
まずは、その始まりからご説明しましょう。もともと東京ゲームショウは、eスポーツのような「来場者を楽しませるためのイベント」が行われないタイプの展示会としてスタートしました。なぜなら、これは業界関係者のためのイベントだったからです。
1990年代は、まだスマホもなければ、インターネットも普及していなかった時代です。どれだけ面白いソフトを作っても、ヒットに結びつかない時代でもありました。ダウンロード販売などは存在しませんから、とにかくソフトを店頭に並べてもらわないと売れなかったんですね。このためゲーム制作会社は、とにかく小売店とか玩具問屋の人たちとか、流通関係者に自社ソフトをアピールする必要があったんです。
大手ゲームメーカーの営業マンが、日本全国の小売店や問屋にソフトを持って行き、そこでゲームを実演して「ここがすごいんですよ! これは売れますよ!」と、必死に売り込むことで、やっとヒットが見込める時代だったんですね。だから営業に人員を割けないメーカーは、どれほどいいソフトを作っても、あまり売れないという現象も起きてしまったわけです。
それは良くない。せっかくの傑作が埋もれてしまいますからね。
それなら、「ゲームソフトをひとつの場所に集める展示会を開催して、そこに全国の流通関係者を招けばいいじゃん!」という理由により、1990年代にいろいろな展示会が誕生することになりました。そして、それらが発展・統合する形で誕生したのが、1996年に第一回開催となる東京ゲームショウなのです。
それは全世界で同時に起きたムーブメントだった
1990年代。このような展示会をスタートさせたのは日本だけではありません。
アメリカでもE3(Electronic Entertainment Expo)というゲーム展示会が、ほぼ同時期(1995年)に始まりました。1990年代半ばは、テレビゲームが一般に普及し始めたタイミングであり、新聞やテレビなどの大手メディアが「ゲームは有望な産業だ」と認め始めたタイミングでもありました。そんな機運に合わせて、大々的な展示会が世界のあちこちで開催されるようになったんです。
東京ゲームショウもE3も、流通関係者にアピールするため、新作ソフトを大々的に展示するというスタイルの展示会としてスタートしたわけですね。このような経緯があるため、一般のユーザーにも開放されたものの、そこではユーザーを楽しませるためのイベントなどは重視されませんでした。ただ新作ゲームを展示するだけの場であり、eスポーツのようにゲームファンがゲームを楽しむための場も用意されなかったんです。
しかし、そんなゲームショウは20年の時を経て、いまではeスポ—ツ専用の巨大ステージがふたつも用意されるまでになりました。ゲームファンのためのお祭りとしての色合いが、どんどん強くなっていったんですね。
どのような歴史を辿って、このような変化が訪れたのでしょうか? 次回から、そのあたりの変化の歴史を解説していきます。
【野安ゆきおプロフィール】
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
【連載】野安ゆきおが語る「東京ゲームショウの歴史」
- 【短期集中連載・東京ゲームショウの歴史 第一話】eスポーツが花開いた「東京ゲームショウ2019」
- 東京ゲームショウにケータイゲームが進出<TGS2006>【東京ゲームショウの歴史 第二話】
- 新規の来場者が増えて大パニックが発生<TGS2006>【東京ゲームショウの歴史 第三話】
- 大手メーカーがケータイゲームで躍進<TGS2011>【東京ゲームショウの歴史 第四話】
- 女性ユーザーの増大と海外メディアの躍進<TGS2012>【東京ゲームショウの歴史 第五話】
- ゲーム展示会はネット中継時代に突入する<TGS2014〜2016>【東京ゲームショウの歴史 第六話】
- eスポーツの躍進とアーケードゲームの解禁<TGS2017>【東京ゲームショウの歴史 第七話】
- 東京ゲームショウのいまとこれから【東京ゲームショウの歴史 第八話】
eSports World の
Discord をフォローしよう
Discord をフォローしよう
SALE
大会
チーム
他にも...?
他にも