【連載】野安ゆきおが語る「東京ゲームショウの歴史」
東京ゲームショウにケータイゲームが進出<TGS2006>【東京ゲームショウの歴史 第二話】
東京ゲームショウと同時期に始まったゲーム展示会・E3との最大の違いは?
もともと流通関係者に新作ゲームをアピールするための展示会として1996年にスタートした東京ゲームショウは、ほぼ同時にアメリカでスタートしてE3とは、大きな相違点があります。
世界最大のゲーム展示会・E3は、開催当初から、完全に業界関係者のためのイベントでした。業界関係者、およびジャーナリストは、事前申請すればフリーパスで入場できましたが、一般のゲームファンは入場できなかったんです。厳密にいうと、入場できないことはないのですが、かなり高額の入場料が必要だったんですね。
私はE3にも何度か取材で訪れたことがありますが、それぞれのメーカーのブースの中には巨大な商談用スペース(ブース全体の3分の1くらいの面積)がありまして、「ここは商談のための展示会だぜ! ビジネスの最前線だぜ!」という空気が、ビンビンに伝わってくる展示会だったんですよ。
一方、東京ゲームショウは違いました。第一回目から一般のゲームファンが入場できるイベントとしてスタートしたのですね。
これは1990年代半ばにプレイステーションが発売され、ちょうど「次世代機戦争」なんていう言葉がメディアを賑やかせていた時代だったからこその判断ですね。
ゲームは子どものための玩具じゃないですよ! 若者が楽しむカルチャーなんですよ!
と、ゲーム業界全体がメディアを通じてアピールするため、最初から一般のゲームファンを招くようにしたのです。
とはいえ、すべての期間を一般のゲームファンに開放してしまうと混雑してしまい、流通関係者の方がゲームにふれるとができません。そこで序盤にビジネスデーが開催され、後半に一般公開日が設定されるようになったのです。そのスタイルは、いまなお継続されています。
そこには一般のゲームファン笑顔が花開いた
さて、こうして一般のゲームファンに解放された東京ゲームショウには、多くのメディアが注目することとなりました。
そこにいるのが背広姿のオッサンばかりで、「これは何本くらい売れるか?」と頭の中でソロバン弾きながら難しい顔してゲームをプレイしている光景しかなかったら、そんなものはニュース番組で流してもらえなかったことでしょう。今っぽく言うと「ぜんぜん映えない」ですからね。
でも東京ゲームショウは違いました。一般のゲームファンに開放したからです。そこには若いゲームファンが大勢詰めかけ、みんなが笑顔になって新作ゲームをプレイしている光景がありました。1990年代は、日本で女性ゲームファンが増え始めたタイミングでもあったため、「若い女性がゲームに夢中になっている」「カップルでゲームを楽しんでいる」といった、テレビや雑誌が喜びそうな光景も生まれたんですね。
こうして東京ゲームショウは、多くのニュース度取り上げられるようになり、一般のゲームファンが集まる展示会であることを大々的にアピールすることに成功するのです。
余談ですが、流通関係者のための展示会としてスタートしたE3も、いまでは一般のゲームファンを積極的に受け入れるようになり、商談の場として側面はものすごーく薄くなっています。その様子はいまではネット中継などを介してみることができますので、ぜひ確認してみてください。
すべてはナンバーポータビリティから始まった
東京ゲームショウは、こうして熱心なゲームファンが訪れるイベントとして開催回数を重ねましたが、じつのところ、最初の10年くらいには飛躍的な発展がありませんでした。
ゲーム機はどんどん進化しますし、どんどん新しいゲームが展示されましたが、結局は「新作ゲームを展示する場」であり、それらを求めるゲームファンが集っているだけの場に過ぎなかったからてすね。
その様相がガラリと変わったのは、いまから13年前のこと。2006年です。
このあたりから、それまで家庭用ゲーム機のソフトメーカーだけが参加していた東京ゲームショウに、大手ケータイキャリア各社が参加するようになります。
これは、ナンバーポータビリティという仕組みが採用されたことに起因します。その昔、ケータイというのは買い替えるたびに電話番号は強制的に変わってしまうものでした。わざわざ「このたび電話番号が変わりまして——」と家族・友人・知人に連絡しなくちゃいけなかったんです。面倒くさい時代だったんですね。
しかし2006年から、「他社のキャリアに乗り換えても、番号は変えなくていい」というルールが生まれます。これがナンバーポータビリティと呼ばれるルールです。誰もが気軽にケータイキャリアを乗り換えられるようになり、ケータイキャリア間で強烈な競争原理が強く働き、各社が競ってサービス合戦を繰り広げるようになったのです。
ケータイキャリア各社は、顧客を引き留めるため、ケータイで遊べるゲームに力を入れるようになり、東京ゲームショウに乗り込んできたんですね。そして、それが会場の空気に大きな影響を与えることになるのです。この話、次回に続きます。
【野安ゆきおプロフィール】
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。
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