【連載】野安ゆきおが語る「東京ゲームショウの歴史」

大手メーカーがケータイゲームで躍進<TGS2011>【東京ゲームショウの歴史 第四話】

2019.11.1 野安ゆきお

ゲーム業界は悩みの時代に突入する


前回からちょっとだけ時代を飛ばして、今回は2011年以降の東京ゲームショウのお話をしましょうか。

というのも、2009〜2010年あたりは、東京ゲームショウ全体が悩みに包まれていた時期だったからです。2009年の東京ゲームショウのキャッチコピーは「GAMEは、元気です」でした。本当に元気だったら、わざわざこんなキャッチコピーをつける必要はありませんから、運営サイドも「なんか元気がないなぁ」と感じていたんですね。

2000年代半ばには、ケータイキャリアが東京ゲームショウに出展するようになり、それによってライトユーザーの入場者が増え始めました。ニンテンドーDSが2004年に、そしてWiiが2006年に発売され、ライトユーザーが爆発的に増えた時代でした。熱心なゲームファン向けに新作を展示するだけでは、来場者を満足させられない時代に突入していたんです。

でも老舗のゲームメーカーは、そんな変化に即時に対応できなかった。いろいろなイベントこそ開催しましたが、それでも従来のスタイルは捨てられず、新作ソフトをズラリと並べるというブース構成は崩さなかったんです。その結果、2009〜2010年あたりに、来場者と出展サイドの間に、ちょっとしたズレが起きてしまったわけですね。

しかし2011年。革命的な変化が東京ゲームショウに訪れます。

それはコナミブースで発生します。ここで「戦国コレクション」「ドラゴンコレクション」といったソーシャルゲームが、とてつもない人気を集め、一躍その年のゲームショウの主役の座に躍り出ることになったのです。

2011年、コナミブースでサービス革命が起きた


それまで大手ゲームメーカーは、どれほどケータイゲームが話題になっていても、それは「ちょっとだけ展示しまーす」くらいのバランスで出展していました。それはコナミも同様であり、だから「戦国コレクション」「ドラゴンコレクション」といったソーシャルゲームは、ブースの隅っこに小さく出展されていました。

このコーナー、初日・2日目のビジネスデーは悲しくなるくらい閑散としていたのですが、3日目に状況が一変します。「来場者に新キャラをプレゼントする!」といったキャンペーンが話題となり、一般公開日になると大混雑が発生。その年の東京ゲームショウで、もっとも熱気あふれるコーナーになったのです。おそらく、コナミ自身、これほどの熱狂を生むとは想像してなかったことでしょう(想像していたならば、もっと大きいコーナーを用意したはずです)。


この光景を見て、他メーカーの人たちは愕然となりました。

話題の新作ソフトをアピールした試遊コーナーよりも、すでに発売(リリース)されているゲームのほうが盛況になったからです。それは「そうか! まだ見ぬ新作ばかりに力をいれるんじゃなくて、発売済みの人気ゲームの愛好者に向けてサービスすればいいのか! だって、そっちのほうが来場者たちは喜んでるじゃないか!」と、業界人全員が気付かされた瞬間だったのかもしれません。

その結果、2011年以降、各社ともにケータイやスマホを持っていくと、さまざまな「いいことがあるよ」というサービスを開始するようになるのですよ。こういったサービスは、いまなお形を変えて継続されていますよね。

こうして東京ゲームショウが「新作ソフトを遊んでもらう」ための展示会ではなく、すでにソフトを遊んでいる人に向けたサービスを主目的にした展示会へと、一気に転換していきます。これはゲーム産業がパッケージ販売のビジネスから、継続的に遊んでもらうビジネスへと転換した分岐点だった、と分析することもできるでしょう。

なお東京ゲームショウ、E3と並んで世界3大ゲーム展示会のひとつとされるゲームズコム(ドイツで開催)は、このあたりのタイミング(2009年)からスタートしています。ゲームがパッケージ販売のビジネスから、継続的に遊んでもらうビジネスの転換期に、欧州でも巨大なゲーム展示会がスタートしたってことですね。

東京ゲームショウにeスポーツが登場する


2011年は、東京ゲームショウに「eスポーツ」という単語が初めて登場した記念すべき年でもあります。

それ以前にも口頭などでは使われていたかもしれませんが、紙やデジタルな資料上に「eスポーツ」という言葉が初めて登場したのは、私が知る限り、おそらく2011年だと思われます。『e-Sports日本選手権 in TGS』という名称の大会が開催され、『Alliance of Valiant Arms』『Toy Wars』『Call of Duty 4』の3タイトルで、それぞれ5対5の対戦が行われています。

この当時は「eスポーツ」という言葉は一般に普及していなかったため、メディアは大きく取り上げていませんし、来場者から注目されることもなかったのですが、いまにして思えば、東京ゲームショウが新作を求めるゲームファンのための展示会ではなく、すでにゲームを遊び込んでいる人を楽しませるための展示会へと変貌しはじめたタイミングで、「eスポーツ」という言葉が公式に使用されるようになったというのは、なんとも示唆的ですね。

こうして東京ゲームショウは、新作ゲームを「知る」ための場ではなく、いろいろなゲームを「楽しむ」場であり、みんなが集うと楽しいことが起きるよ! という参加する場へと変貌していくことになるのですね。この変化により、2009年の来場者数は18万5030人だった東京ゲームショウは、そこから一気に右肩上がりの変化を見せていきます。来場者数は2010年に20万人を越え、2011年には22万人を越え、2012年こそ大幅なアップはなかったものの、2013年には27万人を越えるという、驚異の成長を見せることになるのです。

【野安ゆきおプロフィール】


ゲーム雑誌編集部、編集プロダクション取締役を経てフリーライターに。プレイしたゲーム総数は1000本を越え、手がけたゲーム攻略本は100冊を越える。現在はゲームビジネスを中心にした執筆活動を続ける。1968年2月26日生まれ。

Twitter:https://twitter.com/noyasuyukio
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