「CoD」もプロリーグできんじゃない? ひょんなことから「CoD」プロシーンを作り上げた【「CoD」解説者 鈴木ノリアキ氏インタビュー】
まだeスポーツという言葉が今ほど市民権を得ていなかった2015年、アマチュアからSCARZとして「コール・オブ・デューティ」部門のプロになり活躍したのが、Shirleyこと鈴木ノリアキ氏だ。
コンシューマー向けのFPSとして世界中で高い人気を誇っている「コール・オブ・デューティ」のシーンの立役者こそ、このSCARZと言っていいだろう。
ただし、当時を知らない新しいeスポーツファンたちは、24歳という若さで圧倒的な知識と分析能力を持つ鈴木氏を知らない人もいるかもしれない。
今回は、このCoD解説者としての鈴木氏にフォーカスし、日本のeスポーツシーンの変遷を振り返りながら、CoDというタイトルの魅力を紐解いてみたい。
――プロフィールを拝見してびっくりしたのが、まだ年齢が24歳というところでした。その若さですでに「コールオブデューティ」(以下、「CoD」)の世界で存在感を持っていることに驚きを隠せません。そもそも鈴木さんはどのようにして「CoD」と出会ったのでしょうか?
鈴木ノリアキ(以下、鈴木):ゲームは小さい頃からやってましたが、もともとはスポーツ少年でした。ずっとバレーボールに打ち込んでいましたね。今身長が176cmくらいあるんですけど、中学の頃からこの身長だったので、結構活躍していましたね。
――すごい!中学生でその身長はなかなかいませんよね。
鈴木:ですよね。その頃「お前、2メートルくらいになるんじゃない?」とか友だちに言われてたのですが、どういうわけか、それから全然伸びてないですね(笑)。
まあ、そんなこんなでバレーボールの実力を買われて、バレーボール強豪の高校に進学したのですが、これがまた実力がすごい学校だったんです。さらに学校が遠いこともあり、バリバリの縦社会ということもあり、「この学校でバレーボールやっていくのは無理だな」と思っちゃいました。
それで学校ごと辞めてしまいました。人生初めての挫折をして、いわゆるニート状態です(笑)。
中学卒業したばかりで、ニートになってるやつなんてまわりにもいませんし、その頃は「人生終わったな」という気持ちでいっぱいでしたよ。
地元の友だちに学校を辞めたとかバレーボール諦めたとか思われるのがとても怖かったので、当時の友人はもちろん、恋人や家族ともまったく連絡を取らなくなり、完全に引きこもっていました。
――いきなり、壮絶な挫折からスタートしましたね……。
鈴木:ですね(笑)。
ただずっと家で引きこもってるっていうのも、やっぱりしんどいんですよ。
そもそも面白くないし(笑)。
そんな中、たまたま家にネットが開通して、「そういえば、オンラインゲーム持ってたなあ」って思い出してやりはじめたのが、『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2』(以下、『CoD:MW2』)です。
――なんでまた『CoD:MW2』を持っていたのですか?
鈴木:中学の頃、友だちにすすめられたのがきっかけですね。とにかくストーリーが映画みたいでめちゃくちゃ面白いって。僕自身読書も趣味だったので、その部分に魅力を感じて購入したんです。
それで、家に引きこもっててやることもないので、日がな一日『CoD:MW2』をひたすらプレイしてました。オンラインなので、人とのふれあいはあるのですが、僕が何者なのかは誰も知らない。ましてや高校辞めてニートなんてことは誰も知らない訳で、本当に気楽でした。
また、ストーリーが続いているということもあり、『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア3』(以下、『CoD:MW3』)も持っていて、『CoD:MW3』をやり始めた2011年くらいから「CyAC」さんが開催していた大会に出るようになりました。この頃に今一緒に実況解説をしているk4sen(かせん)と出会いました。
ざっくり言うと、これが「CoD」との出会いです。
――ほかのゲームはやってなかったんですか?
鈴木:いわゆる普通のコンシューマーゲームも持ってましたよ。「メタルギアソリッド」シリーズなんかはファンですね。
もともと本を読むのが好きというのは先ほどお伝えしましたが、レイモンド・ベンソンという小説家が書いた「メタルギアソリッド」のノヴェライゼーションを読んだことがあって、これがもとのゲームがあるという話を聞いたとき、親に無理言って買ってもらいましたね(笑)。
――なるほど、その辺が「コールオブデューティー」シリーズとちょっとつながってくるんですね。
鈴木:そうですね。
――さきほど、『CoD:MW3』の頃から大会に出場するようになったとおうかがいしましたが、きっかけはなんだったんですか?
鈴木:きっかけは単純にゲーム内の友だちに誘われたからです。普通にプレイをしていたらゲーム内のメッセージ機能から連絡がきて、「うちのチームに入って大会に出てみませんか?」ってお誘いを受けたんです。残念ながら当時のメンバーとのつながりは途絶えてしまいましたが、ここがスタート地点でもありますね。
そこからいろいろなチームを転々とするようになって、大会に出場するようになりました。
SCARZに加入
――ゲーム内のプレイヤーと知り合い、大会で活躍するようになったわけですが、そこからプロとして活動するまでのいきさつはなんだったんですか?
鈴木:実は2013年の『コール オブ デューティ ゴースト』が発売したあたりで、一度「CoD」シリーズから離れていました。
――それはまたどうして?
鈴木:『リーグ・オブ・レジェンド』(以下、『LoL』)にはまっちゃいましてね(笑)。
もともと『CoD:MW3』をやっていたメンバーが全員『LoL』にいっちゃいまして……(笑)。その流れで僕もやってみたら、これがめちゃめちゃ面白くて、しばらくはまっていました。そこから丸1年ずっと『LoL』をやっていました。
当時『LoL』は日本サーバーがなく、アメリカのサーバーしかなったんですが、それでも2014年には「League of Legends Japan League」(以下、「LJL)というプロリーグが「e-sports SQUARE」で開催されていました。実際見に行ったらものすごく盛り上がっていたのを覚えています。
でもよく考えてみたら、日本サーバーもない、日本人のプレイ人口もそんなにいない状態でプロリーグをやっている『LoL』すごいなってことに気づいて、『LoL』がこれだけ日本で盛り上がってるなら「CoD」でもできんじゃない? と思い、このあたりから今後の展開を見据えるようになりました。
「CoD」シリーズなら、『LoL』並のポテンシャルはある。このまま日本だけで大会をやっているのはもったいないし、もっと世界に目を向けて行きたいと思い、世界でも活躍できるプロチームを作ろうという考えを持つようになりました。
――おおっ、まさしくプロチームの生みの親的な考え方じゃないですか!
鈴木:いろいろ逆算してみたんです。最終的な目標は「世界大会で優勝すること」。そのためには、日本での競争が必要だよね。それには大会が必要だよね。そうなると大会に出場するようなチームが必要だよね。という感じで、日本でもチームが活躍できる場を作りたいと思うようになりました。
その頃僕は「CoD」では知名度も実力もある「Samurai ZyAG」というチームに所属していましたし、有名な選手ともつながりがあったので、その知名度を生かして、最終的には「LJL」みたいなことを「CoD」でもやるための動きをしていました。
――まさしく0の状態から作り上げようとしていたんですね。
鈴木:なんか行ける気がしたんですよね。2014年の頃って、プロチームが乱立していた時代だったんで(笑)。
ただ僕がプロリーグを立ち上げるという力はなかったので、何かいいアイデアないかなあと考えたときに、まず僕らが「CoD」のプロチームになれば、ほかのプロチームも出てくるんじゃないかなと思ったんです。
そのためにもまず「Samurai ZyAG」というチームで優勝経験を重ね、実力も認知度も高めた上で、2015年にeスポーツプロチーム「SCARZ」に営業をかけました。
――えっ? 鈴木さんご本人がですか?
鈴木:はいチーム代表として。「僕たちが「CoD」初のプロチームになったら何か起こるかもしれません」といって話を「SCARZ」の代表である友利さんに直談判しました。
――なぜ「SCARZ」だったんですか?
鈴木:ほかにもプロチームはいくつかあったのですが、「SCARZ」自体ができたてのプロチームということもあり、こういう面白そうな企画に食いついてくれるんじゃないかなって思っちゃったんです(笑)。
そしたら「おもしろそうだね」って言ってくれて、ほどなくしてチームが結成されました。
またその頃は世界大会ルールを使用した国内大会がなかったので、「CyAC」さんに、世界大会ルールの大会を開いて欲しいとも頼みました。
――プロチームも作って、プロリーグも開かれるようになる。実は鈴木さんが「CoD」のプロシーンを築き上げた仕掛け人でもあるんですね。
鈴木:そうなりますね。
まあでも当時の友利さんはきっと「変なヤツが来たな」って思ってたんじゃないですかねえ(笑)。
――あはは(笑)。ところで「CoD」がプロシーンとして定着したというか、手応えを感じるようになったのはいつ頃ですか?
鈴木:なんといっても東京ゲームショウ 2017に開催された、『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』の「TGS2017 頂上決戦」ですね。
「SCARZ」と「Rush CLAN」のオフライン対戦だったのですが、大会でもないイベントの対戦だったのに、ものすごい盛り上がりだったんです。それこそめちゃめちゃお客さんが入ってて。
それを見たときに「これはいけるな」と確信しましたね。
――「SCARZ」に加入してプロとして活躍していたわけですが、そこから解説へと転身したきっかけは?
鈴木:「CyAC」さんの大会が開催されるようになったのですが、「CoD」界隈に世界大会ルールを知っている人がいなかったんです。さすがに解説がいないとまずいぞってことになったのですが、まわりの選手たちは解説なんかやりたくないわけですよ(笑)。
――まあ、試合に出たいですもんね(笑)。
鈴木:はい。まあ誰もやりたがらないなら「俺が解説やるか」ってことで、自主的に解説をやるようになったのがきっかけですね。
――なるほど。じゃあ引退してからというわけではないんですね。
鈴木:そうですね。僕自身選手としてやるべきことはやりきったし、何より僕よりうまいメンバーばかりでしたので、「CyAC」の大会では「SCARZ」として出場している傍ら、僕は実況解説席にいるという不思議な状況で解説を担当していました。
ただプロリーグとなるとそうもいきません。プロチームのメンバーが解説やってるなんてありえないことですから(笑)。
なので「SCARZ」を引退して、そのままプロリーグの解説も担当することになりました。そこから、岸大河さんがMCをやって、僕とk4sen(かせん)が実況解説という形が基本になりました。それが2018年ですね。
――そういういきさつだったんですね。ちなみに解説をするにあたって気をつけていることはありますか?
鈴木:影響を受けたのは『LoL』で解説なさってるRevol(れぼる)さんですね。Revol(れぼる)さんの解説がめっちゃ好きで、憧れでもあります。
――えっ、そうなんですか。しゃべり方とか全然違う気が……。
鈴木:しゃべり方とかは全然違うんですけど、わかりやすい解説はとても参考にしていました。あとはもう単純にRevol(れぼる)さんのファンで、一緒に写真撮ってもらったこともありますもん(笑)。
――ほんとだすごい!
鈴木:彼の解説のすばらしいところは、選手側の目線をしっかりととらえているところですね。選手がどういうことをやってきているのか、どういうところをがんばってきたのか、というのをわかりやすく説明してくれるので、視聴者はもちろん、選手もうれしいだろうなあと思います。
――鈴木さん自身は選手やゲームシーンについてどのように情報を得ているのですか?
鈴木:僕は動画を見て分析するということができないタイプなので、実際にゲームをやり込んで情報を得ています。例えばチームの助っ人に入って実際チームメンバーとコミュニティの大会に出場したり。
とにかく自分でやって自分で覚えます。やっぱり実体験がないと判断できない部分ってありますしね。
――なるほど。実際に現場を体験している解説者ってなかなかいないと思うので、そういった目線はほかにない強みでもありますね。そんな鈴木さんから見て、日本の「CoD」シーンと海外のシーンを見比べたときに、日本のシーンはどのように見えますか?
鈴木:やはりまだまだ海外との実力差はありますが、徐々に縮まっている感覚はありますね。ただ現状コロナ禍という状況もありますので、いかに国内で実力を付けていくかが重要だと思っています。
ただ数年前から比べると、見違えるほど進化してきているので、まだまだポテンシャルは秘めていると思います。練習の質を上げたり、なるべく世界のチームと練習をして実力を高めていってほしいですね。
――未来があるっていいですね! 最後になりますが、鈴木さん自身が描く今後の展望をお聞かせください。
鈴木:僕は長期的な目標を持たないタイプなので、今楽しいと思えることを精一杯やっていきたいと思っています。現在は、解説やタレント活動の傍ら、iPhone用のアプリを作ったりもしているので、そちらの方も注力していけたらなあと思っています。
——ありがとうございました!
今や実況解説でおなじみの顔となっている鈴木ノリアキ氏。以前はプロとして活動していただけでなく、「CoD」のプロシーンを作り上げた発起人でもあることが今回のインタビューで知ることができた。
何も恐れない勇気と行動力は、おそらく一度大きな挫折を味わったからこそのパワーでもあると思う。今後、彼がなにを生み出してくれるのか——。eSports Worldとして今後の活動も追いかけていきたい。
そしてなによりビックリしたのは、解説の際に着ている奇抜なジャケットが自前ではなく、スタイリストさんが用意してくれていたということでした(笑)。
コンシューマー向けのFPSとして世界中で高い人気を誇っている「コール・オブ・デューティ」のシーンの立役者こそ、このSCARZと言っていいだろう。
ただし、当時を知らない新しいeスポーツファンたちは、24歳という若さで圧倒的な知識と分析能力を持つ鈴木氏を知らない人もいるかもしれない。
今回は、このCoD解説者としての鈴木氏にフォーカスし、日本のeスポーツシーンの変遷を振り返りながら、CoDというタイトルの魅力を紐解いてみたい。
鈴木ノリアキプロフィール
高校中退後、『コール・オブ・デューティ モダン・ウォーウェア2』で「コールオブデューティー」シリーズと出会ってからハマり込み、自らアマチュアチーム「Samurai ZyAG」eスポーツ部門を創設。CyAC主催の大会を総なめにしたのち、チームごと「SCARZ」に加入しプロ選手となる。定評のある深い戦略知識と選手の情報を武器に、プロ活動のかたわらで実況・解説などに携わり始める。「SCARZ」を引退後、「コールオブデューティー」シリーズの公式大会でK4sen(かせん)氏とともに解説者として活躍中。
高校中退後、『コール・オブ・デューティ モダン・ウォーウェア2』で「コールオブデューティー」シリーズと出会ってからハマり込み、自らアマチュアチーム「Samurai ZyAG」eスポーツ部門を創設。CyAC主催の大会を総なめにしたのち、チームごと「SCARZ」に加入しプロ選手となる。定評のある深い戦略知識と選手の情報を武器に、プロ活動のかたわらで実況・解説などに携わり始める。「SCARZ」を引退後、「コールオブデューティー」シリーズの公式大会でK4sen(かせん)氏とともに解説者として活躍中。
大きな挫折をきっかけに「コール オブ デューティ」の世界へ飛び込んだ
――プロフィールを拝見してびっくりしたのが、まだ年齢が24歳というところでした。その若さですでに「コールオブデューティ」(以下、「CoD」)の世界で存在感を持っていることに驚きを隠せません。そもそも鈴木さんはどのようにして「CoD」と出会ったのでしょうか?
鈴木ノリアキ(以下、鈴木):ゲームは小さい頃からやってましたが、もともとはスポーツ少年でした。ずっとバレーボールに打ち込んでいましたね。今身長が176cmくらいあるんですけど、中学の頃からこの身長だったので、結構活躍していましたね。
――すごい!中学生でその身長はなかなかいませんよね。
鈴木:ですよね。その頃「お前、2メートルくらいになるんじゃない?」とか友だちに言われてたのですが、どういうわけか、それから全然伸びてないですね(笑)。
まあ、そんなこんなでバレーボールの実力を買われて、バレーボール強豪の高校に進学したのですが、これがまた実力がすごい学校だったんです。さらに学校が遠いこともあり、バリバリの縦社会ということもあり、「この学校でバレーボールやっていくのは無理だな」と思っちゃいました。
それで学校ごと辞めてしまいました。人生初めての挫折をして、いわゆるニート状態です(笑)。
中学卒業したばかりで、ニートになってるやつなんてまわりにもいませんし、その頃は「人生終わったな」という気持ちでいっぱいでしたよ。
地元の友だちに学校を辞めたとかバレーボール諦めたとか思われるのがとても怖かったので、当時の友人はもちろん、恋人や家族ともまったく連絡を取らなくなり、完全に引きこもっていました。
――いきなり、壮絶な挫折からスタートしましたね……。
鈴木:ですね(笑)。
ただずっと家で引きこもってるっていうのも、やっぱりしんどいんですよ。
そもそも面白くないし(笑)。
そんな中、たまたま家にネットが開通して、「そういえば、オンラインゲーム持ってたなあ」って思い出してやりはじめたのが、『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア2』(以下、『CoD:MW2』)です。
――なんでまた『CoD:MW2』を持っていたのですか?
鈴木:中学の頃、友だちにすすめられたのがきっかけですね。とにかくストーリーが映画みたいでめちゃくちゃ面白いって。僕自身読書も趣味だったので、その部分に魅力を感じて購入したんです。
それで、家に引きこもっててやることもないので、日がな一日『CoD:MW2』をひたすらプレイしてました。オンラインなので、人とのふれあいはあるのですが、僕が何者なのかは誰も知らない。ましてや高校辞めてニートなんてことは誰も知らない訳で、本当に気楽でした。
また、ストーリーが続いているということもあり、『コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア3』(以下、『CoD:MW3』)も持っていて、『CoD:MW3』をやり始めた2011年くらいから「CyAC」さんが開催していた大会に出るようになりました。この頃に今一緒に実況解説をしているk4sen(かせん)と出会いました。
ざっくり言うと、これが「CoD」との出会いです。
――ほかのゲームはやってなかったんですか?
鈴木:いわゆる普通のコンシューマーゲームも持ってましたよ。「メタルギアソリッド」シリーズなんかはファンですね。
もともと本を読むのが好きというのは先ほどお伝えしましたが、レイモンド・ベンソンという小説家が書いた「メタルギアソリッド」のノヴェライゼーションを読んだことがあって、これがもとのゲームがあるという話を聞いたとき、親に無理言って買ってもらいましたね(笑)。
――なるほど、その辺が「コールオブデューティー」シリーズとちょっとつながってくるんですね。
鈴木:そうですね。
――さきほど、『CoD:MW3』の頃から大会に出場するようになったとおうかがいしましたが、きっかけはなんだったんですか?
鈴木:きっかけは単純にゲーム内の友だちに誘われたからです。普通にプレイをしていたらゲーム内のメッセージ機能から連絡がきて、「うちのチームに入って大会に出てみませんか?」ってお誘いを受けたんです。残念ながら当時のメンバーとのつながりは途絶えてしまいましたが、ここがスタート地点でもありますね。
そこからいろいろなチームを転々とするようになって、大会に出場するようになりました。
SCARZに加入
「CoD」の競技シーンで初のプロチームを結成!
――ゲーム内のプレイヤーと知り合い、大会で活躍するようになったわけですが、そこからプロとして活動するまでのいきさつはなんだったんですか?
鈴木:実は2013年の『コール オブ デューティ ゴースト』が発売したあたりで、一度「CoD」シリーズから離れていました。
――それはまたどうして?
鈴木:『リーグ・オブ・レジェンド』(以下、『LoL』)にはまっちゃいましてね(笑)。
もともと『CoD:MW3』をやっていたメンバーが全員『LoL』にいっちゃいまして……(笑)。その流れで僕もやってみたら、これがめちゃめちゃ面白くて、しばらくはまっていました。そこから丸1年ずっと『LoL』をやっていました。
当時『LoL』は日本サーバーがなく、アメリカのサーバーしかなったんですが、それでも2014年には「League of Legends Japan League」(以下、「LJL)というプロリーグが「e-sports SQUARE」で開催されていました。実際見に行ったらものすごく盛り上がっていたのを覚えています。
でもよく考えてみたら、日本サーバーもない、日本人のプレイ人口もそんなにいない状態でプロリーグをやっている『LoL』すごいなってことに気づいて、『LoL』がこれだけ日本で盛り上がってるなら「CoD」でもできんじゃない? と思い、このあたりから今後の展開を見据えるようになりました。
「CoD」シリーズなら、『LoL』並のポテンシャルはある。このまま日本だけで大会をやっているのはもったいないし、もっと世界に目を向けて行きたいと思い、世界でも活躍できるプロチームを作ろうという考えを持つようになりました。
――おおっ、まさしくプロチームの生みの親的な考え方じゃないですか!
鈴木:いろいろ逆算してみたんです。最終的な目標は「世界大会で優勝すること」。そのためには、日本での競争が必要だよね。それには大会が必要だよね。そうなると大会に出場するようなチームが必要だよね。という感じで、日本でもチームが活躍できる場を作りたいと思うようになりました。
その頃僕は「CoD」では知名度も実力もある「Samurai ZyAG」というチームに所属していましたし、有名な選手ともつながりがあったので、その知名度を生かして、最終的には「LJL」みたいなことを「CoD」でもやるための動きをしていました。
――まさしく0の状態から作り上げようとしていたんですね。
鈴木:なんか行ける気がしたんですよね。2014年の頃って、プロチームが乱立していた時代だったんで(笑)。
ただ僕がプロリーグを立ち上げるという力はなかったので、何かいいアイデアないかなあと考えたときに、まず僕らが「CoD」のプロチームになれば、ほかのプロチームも出てくるんじゃないかなと思ったんです。
そのためにもまず「Samurai ZyAG」というチームで優勝経験を重ね、実力も認知度も高めた上で、2015年にeスポーツプロチーム「SCARZ」に営業をかけました。
――えっ? 鈴木さんご本人がですか?
鈴木:はいチーム代表として。「僕たちが「CoD」初のプロチームになったら何か起こるかもしれません」といって話を「SCARZ」の代表である友利さんに直談判しました。
――なぜ「SCARZ」だったんですか?
鈴木:ほかにもプロチームはいくつかあったのですが、「SCARZ」自体ができたてのプロチームということもあり、こういう面白そうな企画に食いついてくれるんじゃないかなって思っちゃったんです(笑)。
そしたら「おもしろそうだね」って言ってくれて、ほどなくしてチームが結成されました。
またその頃は世界大会ルールを使用した国内大会がなかったので、「CyAC」さんに、世界大会ルールの大会を開いて欲しいとも頼みました。
――プロチームも作って、プロリーグも開かれるようになる。実は鈴木さんが「CoD」のプロシーンを築き上げた仕掛け人でもあるんですね。
鈴木:そうなりますね。
まあでも当時の友利さんはきっと「変なヤツが来たな」って思ってたんじゃないですかねえ(笑)。
――あはは(笑)。ところで「CoD」がプロシーンとして定着したというか、手応えを感じるようになったのはいつ頃ですか?
鈴木:なんといっても東京ゲームショウ 2017に開催された、『コール オブ デューティ インフィニット・ウォーフェア』の「TGS2017 頂上決戦」ですね。
「SCARZ」と「Rush CLAN」のオフライン対戦だったのですが、大会でもないイベントの対戦だったのに、ものすごい盛り上がりだったんです。それこそめちゃめちゃお客さんが入ってて。
それを見たときに「これはいけるな」と確信しましたね。
自分自身プロとしてやりきってからの解説への転身
――「SCARZ」に加入してプロとして活躍していたわけですが、そこから解説へと転身したきっかけは?
鈴木:「CyAC」さんの大会が開催されるようになったのですが、「CoD」界隈に世界大会ルールを知っている人がいなかったんです。さすがに解説がいないとまずいぞってことになったのですが、まわりの選手たちは解説なんかやりたくないわけですよ(笑)。
――まあ、試合に出たいですもんね(笑)。
鈴木:はい。まあ誰もやりたがらないなら「俺が解説やるか」ってことで、自主的に解説をやるようになったのがきっかけですね。
――なるほど。じゃあ引退してからというわけではないんですね。
鈴木:そうですね。僕自身選手としてやるべきことはやりきったし、何より僕よりうまいメンバーばかりでしたので、「CyAC」の大会では「SCARZ」として出場している傍ら、僕は実況解説席にいるという不思議な状況で解説を担当していました。
ただプロリーグとなるとそうもいきません。プロチームのメンバーが解説やってるなんてありえないことですから(笑)。
なので「SCARZ」を引退して、そのままプロリーグの解説も担当することになりました。そこから、岸大河さんがMCをやって、僕とk4sen(かせん)が実況解説という形が基本になりました。それが2018年ですね。
――そういういきさつだったんですね。ちなみに解説をするにあたって気をつけていることはありますか?
鈴木:影響を受けたのは『LoL』で解説なさってるRevol(れぼる)さんですね。Revol(れぼる)さんの解説がめっちゃ好きで、憧れでもあります。
――えっ、そうなんですか。しゃべり方とか全然違う気が……。
鈴木:しゃべり方とかは全然違うんですけど、わかりやすい解説はとても参考にしていました。あとはもう単純にRevol(れぼる)さんのファンで、一緒に写真撮ってもらったこともありますもん(笑)。
――ほんとだすごい!
鈴木:彼の解説のすばらしいところは、選手側の目線をしっかりととらえているところですね。選手がどういうことをやってきているのか、どういうところをがんばってきたのか、というのをわかりやすく説明してくれるので、視聴者はもちろん、選手もうれしいだろうなあと思います。
――鈴木さん自身は選手やゲームシーンについてどのように情報を得ているのですか?
鈴木:僕は動画を見て分析するということができないタイプなので、実際にゲームをやり込んで情報を得ています。例えばチームの助っ人に入って実際チームメンバーとコミュニティの大会に出場したり。
とにかく自分でやって自分で覚えます。やっぱり実体験がないと判断できない部分ってありますしね。
――なるほど。実際に現場を体験している解説者ってなかなかいないと思うので、そういった目線はほかにない強みでもありますね。そんな鈴木さんから見て、日本の「CoD」シーンと海外のシーンを見比べたときに、日本のシーンはどのように見えますか?
鈴木:やはりまだまだ海外との実力差はありますが、徐々に縮まっている感覚はありますね。ただ現状コロナ禍という状況もありますので、いかに国内で実力を付けていくかが重要だと思っています。
ただ数年前から比べると、見違えるほど進化してきているので、まだまだポテンシャルは秘めていると思います。練習の質を上げたり、なるべく世界のチームと練習をして実力を高めていってほしいですね。
――未来があるっていいですね! 最後になりますが、鈴木さん自身が描く今後の展望をお聞かせください。
鈴木:僕は長期的な目標を持たないタイプなので、今楽しいと思えることを精一杯やっていきたいと思っています。現在は、解説やタレント活動の傍ら、iPhone用のアプリを作ったりもしているので、そちらの方も注力していけたらなあと思っています。
——ありがとうございました!
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今や実況解説でおなじみの顔となっている鈴木ノリアキ氏。以前はプロとして活動していただけでなく、「CoD」のプロシーンを作り上げた発起人でもあることが今回のインタビューで知ることができた。
何も恐れない勇気と行動力は、おそらく一度大きな挫折を味わったからこそのパワーでもあると思う。今後、彼がなにを生み出してくれるのか——。eSports Worldとして今後の活動も追いかけていきたい。
そしてなによりビックリしたのは、解説の際に着ている奇抜なジャケットが自前ではなく、スタイリストさんが用意してくれていたということでした(笑)。
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