【特集】eスポーツ昔ばなし
【特集:eスポーツ昔ばなし】第1回 誰も知らない本当のeスポーツ元年
皆様はじめまして、やすお(OFF)と申します。
この度はeSports Worldさんでeスポーツむかしばなしを書かせていただくことになりました。記念すべき第1回は「誰も知らない本当のeスポーツ元年」と題しまして、知っている人が極めて少ない日本の本当のeスポーツ元年について紹介していこうと思います。
一般的なメディアで言われているeスポーツ元年は、eスポーツという単語が流行語大賞にノミネートされた2018年という認識が一般的だと思います。当然のことながら2018年よりも前の日本でeスポーツが存在しなかった訳はなく、それよりずっと前から日本にもeスポーツは存在していました。その“ずっと前”のお話を紹介させていただく次第です。
今では考えられない!
まずは軽く筆者の自己紹介をしつつ当時のFPSタイトルの話をしていきましょう。私は1996年からFPSの魅力にとりつかれている40歳のオールドゲーマーで、初プレイタイトルは由緒正しきFPSの原点『Wolfenstein3D』。
『最初にプレイしたFPSは何ですか?』と聞かれたときにこのタイトルを挙げると、コイツやってる感を醸し出せます(笑)。どこの業界で役に立つのかはさておき……。
ちなみにこの『Wolfenstein3D』というFPSですが、今では当たり前の概念がありません。例えば、しゃがみ、ジャンプ、ダッシュ、リコイル、ADS——。さらには上下の視点移動がないのです!
何せマウスが標準装備ではない時代のFPSですから、キーボードだけでも遊べる親切設計でした。もし私が現代知識を持ったまま1992年にタイムリープしたら「視点移動にマウスを使えばいいじゃない?」という知識で無双する予定です。
その後は、『Quake』からはじまり、それはそれはさまざまななFPSと共に青春時代を過ごしてきました。そして2003年の「Cyberathlete Professional League 日本予選」をオンライン観戦したのがきっかけでeスポーツの存在を知り、eスポーツ観戦の虜になったのです。
ということでさっそく本題に。さまざまな解釈がある日本におけるeスポーツ元年ですが、「ある種類のゲームをeスポーツと呼称して競う大会が開催された年」という定義に基づくと、「World Cyber Games Challenge 2000 日本予選」(以下、WCGC 2000 日本予選)が開催された2000年ということになります。
この頃の時代の情報は残念ながら電子化された状態では残されておらず、上記の話も日本eスポーツの祖である犬飼博士さんの話によるものです。
もちろん2000年より前からゲームの腕前を競い合うイベントや大会は開催されていましたが、それらはeスポーツとは呼ばれておらず、単にゲーム大会として取り扱われていました。
呼び方の違いだけではありますが、eスポーツという枠組みの中で開催されたことに私は大きな意味があると感じています。銃乱射事件などであまりイメージの良くなかったPCゲーム——特にFPSにeスポーツというスキンを被せたというような背景もあったんじゃないかと思います。
この「WCGC 2000 日本予選」は、東京ゲームショウの1ブースで開催されました。記念すべき日本のeスポーツの原点は東京ビッグサイト。ちなみに主催は日本サムスンが母体のBattleTopJapan。日本で初めてのeスポーツの会社です。ここ期末テストに出ます。今日はこれだけでも覚えて帰ってください!
日本予選が開催された競技タイトルは『Quake3』、『Age of Empires II』、『StarCraft: Brood War』の3作品。コンシューマー系のタイトルは採用されていませんでした。
アリーナ系FPSとRTSという時代を感じる構成ですね。今やeスポーツの代名詞と呼ばれるような5vs5タクティカルシューターやMOBAは影も形もありません。それもそのはず——なぜなら、それらのゲームジャンルが生まれる前の時代のお話です。
大会の形式も今とは大きく異なります。オンライン予選はなく、いきなりオフライン大会で日本代表を決めるという今では考えられない規模感で実施されました。つまりは東京ゲームショウに遊びに来た人がふらっと飛び入りで参加して日本代表権をもぎ取る、なんていうこともできなくはない世界だったのです。まあただ、実際に日本代表権を獲得したのは、当時からネット対戦で猛者と呼ばれていた方々でしたけどね。
なお、当時の大会の結果はLiquipedia先生が保存してくれています。流石ですLiquipedia先生。
参考:
https://liquipedia.net/arenafps/World_Cyber_Games/2000/Challenge/Quake_3
「WCGC 2000」本戦の結果はというと、日本勢はベスト32が最高順位と世界の壁を感じる結果に終わっています。順位だけ見ると少し残念な結果かもしれません。ですが、日本にはeスポーツの土壌がなかった時代、プロeスポーツチームや選手なんて影も形もなかった時代。そんな時代に先駆者たちが得た貴重な経験値が日本のeスポーツ黎明期の礎を築いていったと考えると、順位以上の成果があったんじゃないかと思うのです。
ちなみに、上記の写真に写っているRockdoGG(長崎潤)さんは、AceGamerとGoodplayer.jpという会社で日本のeスポーツ大会運営を長年にわたって支え、ZEX-KILLER(BRZRK)さんとDiesaku(KRV)さんは、『Counter-Strike』における元祖世界で戦うための最強チーム「DeadlyDrive」を創設。「DeadlyDrive」はのちに日本初のプロゲーマーとなるKeNNyさんやENZAさんが所属していました。
「ある種類のゲームをeスポーツと呼称して競う大会が開催された」という定義におけるeスポーツ元年は2000年のWCGCですが、今度は私にとってのeスポーツ元年は2003年。「Cyberathlete Professional League」(以下、CPL)というeスポーツ大会のストリーミング配信を視聴した瞬間です。
今でこそeスポーツの大会はTwitchやYouTubeなどで気軽に観戦できますが、当時はゲームを所持している人がゲーム内の観戦用サーバーに接続して観戦するというのがスタンダード。誰でも気軽にストリーミング配信でeスポーツの大会を観戦できる環境は非常に珍しい時代でした。
そんな状態で視聴した「CPL 2003」のストリーミング配信。『Counter-Strike』の試合だったんですが、その時の感動と衝撃が20年経った今でも鮮明に記憶に残っています。右も左もわからないけど、配信画面からは凄い高い次元で戦ってるのが伝わってきました。もの凄い声を張り上げて、訳のわからない神業みたいな連携で戦ってる選手の姿が本当にカッコよくて——。ゲームの試合なのに実況と解説がついてるのも衝撃で、そのカッコよさをさらに引き立てていました。
しかも、この日本予選で優勝すれば賞金10万円とハイエンドなビデオカードが貰えて、アメリカで開催される世界大会に出場できるというのです。
「ゲームでアメリカ?」クイズでニューヨークに行ける以上のお話です。
そして世界大会の優勝賞金はなんと3万ドル!(当時の為替レートで約360万円)
ただただ驚愕でした。この『Counter-Strike』をやってる人たちは、私と同じFPSという種類のゲームを遊んでいるだけのはずなのに次元が違いすぎました。
いや、これは遊んでるんじゃない。真剣勝負の競技をしているのかこの人達は。なるほどこれはゲームじゃない。
ゲームじゃなくてeスポーツなのか!
と、こんな感じで私のeスポーツ元年がスタートしたのでした。
ということで今回のお話しはここまで。誰がどういう定義で決めたのか「eスポーツ元年」という言葉がひとり歩きしている昨今ですが、思い返してみればもう20年以上前からあった世界だったんですね。
ただeスポーツ元年の考え方はひとそれぞれです。その人がeスポーツに巡り会い、感銘を受けた年がその人にとってのeスポーツ元年なのです。
あなたのeスポーツ元年は何年ですか?
思い出の大会を振り返り、あなたなりのeスポーツ元年を見つけられるきっかけになれたら幸いです。ということで次回は私がオフライン大会にはまったきっかけを時代とともに紹介していきたいと思います。
この度はeSports Worldさんでeスポーツむかしばなしを書かせていただくことになりました。記念すべき第1回は「誰も知らない本当のeスポーツ元年」と題しまして、知っている人が極めて少ない日本の本当のeスポーツ元年について紹介していこうと思います。
一般的なメディアで言われているeスポーツ元年は、eスポーツという単語が流行語大賞にノミネートされた2018年という認識が一般的だと思います。当然のことながら2018年よりも前の日本でeスポーツが存在しなかった訳はなく、それよりずっと前から日本にもeスポーツは存在していました。その“ずっと前”のお話を紹介させていただく次第です。
今では考えられない!
上下移動もジャンプもないFPSが存在した!?
まずは軽く筆者の自己紹介をしつつ当時のFPSタイトルの話をしていきましょう。私は1996年からFPSの魅力にとりつかれている40歳のオールドゲーマーで、初プレイタイトルは由緒正しきFPSの原点『Wolfenstein3D』。
『最初にプレイしたFPSは何ですか?』と聞かれたときにこのタイトルを挙げると、コイツやってる感を醸し出せます(笑)。どこの業界で役に立つのかはさておき……。
ちなみにこの『Wolfenstein3D』というFPSですが、今では当たり前の概念がありません。例えば、しゃがみ、ジャンプ、ダッシュ、リコイル、ADS——。さらには上下の視点移動がないのです!
何せマウスが標準装備ではない時代のFPSですから、キーボードだけでも遊べる親切設計でした。もし私が現代知識を持ったまま1992年にタイムリープしたら「視点移動にマウスを使えばいいじゃない?」という知識で無双する予定です。
その後は、『Quake』からはじまり、それはそれはさまざまななFPSと共に青春時代を過ごしてきました。そして2003年の「Cyberathlete Professional League 日本予選」をオンライン観戦したのがきっかけでeスポーツの存在を知り、eスポーツ観戦の虜になったのです。
実は日本における本当のeスポーツ元年は2000年!
ということでさっそく本題に。さまざまな解釈がある日本におけるeスポーツ元年ですが、「ある種類のゲームをeスポーツと呼称して競う大会が開催された年」という定義に基づくと、「World Cyber Games Challenge 2000 日本予選」(以下、WCGC 2000 日本予選)が開催された2000年ということになります。
この頃の時代の情報は残念ながら電子化された状態では残されておらず、上記の話も日本eスポーツの祖である犬飼博士さんの話によるものです。
もちろん2000年より前からゲームの腕前を競い合うイベントや大会は開催されていましたが、それらはeスポーツとは呼ばれておらず、単にゲーム大会として取り扱われていました。
呼び方の違いだけではありますが、eスポーツという枠組みの中で開催されたことに私は大きな意味があると感じています。銃乱射事件などであまりイメージの良くなかったPCゲーム——特にFPSにeスポーツというスキンを被せたというような背景もあったんじゃないかと思います。
この「WCGC 2000 日本予選」は、東京ゲームショウの1ブースで開催されました。記念すべき日本のeスポーツの原点は東京ビッグサイト。ちなみに主催は日本サムスンが母体のBattleTopJapan。日本で初めてのeスポーツの会社です。ここ期末テストに出ます。今日はこれだけでも覚えて帰ってください!
日本予選が開催された競技タイトルは『Quake3』、『Age of Empires II』、『StarCraft: Brood War』の3作品。コンシューマー系のタイトルは採用されていませんでした。
アリーナ系FPSとRTSという時代を感じる構成ですね。今やeスポーツの代名詞と呼ばれるような5vs5タクティカルシューターやMOBAは影も形もありません。それもそのはず——なぜなら、それらのゲームジャンルが生まれる前の時代のお話です。
大会の形式も今とは大きく異なります。オンライン予選はなく、いきなりオフライン大会で日本代表を決めるという今では考えられない規模感で実施されました。つまりは東京ゲームショウに遊びに来た人がふらっと飛び入りで参加して日本代表権をもぎ取る、なんていうこともできなくはない世界だったのです。まあただ、実際に日本代表権を獲得したのは、当時からネット対戦で猛者と呼ばれていた方々でしたけどね。
【時代を感じるクランタグ】
当時のプレイヤーネームは、名前+クランタグという形式で表記するのがスタンダードで、クランタグというのは所属チームを示しています。今でいうチーム名の略称ですね。例えばZETA DIVISION所属のLaz選手なら、ZETA Lazと表記されているように、かつても名前とクランタグを表記していました。
原則クランタグは[ ]でくくっていましたが、文字遊びで] [という表記にしている人もいました。この辺はEを3にしたり、iを1にしたりする選手名と似ていて、ゲーマーの遊び心が垣間見える瞬間ですね。
当時のプレイヤーネームは、名前+クランタグという形式で表記するのがスタンダードで、クランタグというのは所属チームを示しています。今でいうチーム名の略称ですね。例えばZETA DIVISION所属のLaz選手なら、ZETA Lazと表記されているように、かつても名前とクランタグを表記していました。
原則クランタグは[ ]でくくっていましたが、文字遊びで] [という表記にしている人もいました。この辺はEを3にしたり、iを1にしたりする選手名と似ていて、ゲーマーの遊び心が垣間見える瞬間ですね。
なお、当時の大会の結果はLiquipedia先生が保存してくれています。流石ですLiquipedia先生。
参考:
https://liquipedia.net/arenafps/World_Cyber_Games/2000/Challenge/Quake_3
「WCGC 2000」本戦の結果はというと、日本勢はベスト32が最高順位と世界の壁を感じる結果に終わっています。順位だけ見ると少し残念な結果かもしれません。ですが、日本にはeスポーツの土壌がなかった時代、プロeスポーツチームや選手なんて影も形もなかった時代。そんな時代に先駆者たちが得た貴重な経験値が日本のeスポーツ黎明期の礎を築いていったと考えると、順位以上の成果があったんじゃないかと思うのです。
ちなみに、上記の写真に写っているRockdoGG(長崎潤)さんは、AceGamerとGoodplayer.jpという会社で日本のeスポーツ大会運営を長年にわたって支え、ZEX-KILLER(BRZRK)さんとDiesaku(KRV)さんは、『Counter-Strike』における元祖世界で戦うための最強チーム「DeadlyDrive」を創設。「DeadlyDrive」はのちに日本初のプロゲーマーとなるKeNNyさんやENZAさんが所属していました。
私にとってのeスポーツ元年は2003年!
「ある種類のゲームをeスポーツと呼称して競う大会が開催された」という定義におけるeスポーツ元年は2000年のWCGCですが、今度は私にとってのeスポーツ元年は2003年。「Cyberathlete Professional League」(以下、CPL)というeスポーツ大会のストリーミング配信を視聴した瞬間です。
今でこそeスポーツの大会はTwitchやYouTubeなどで気軽に観戦できますが、当時はゲームを所持している人がゲーム内の観戦用サーバーに接続して観戦するというのがスタンダード。誰でも気軽にストリーミング配信でeスポーツの大会を観戦できる環境は非常に珍しい時代でした。
そんな状態で視聴した「CPL 2003」のストリーミング配信。『Counter-Strike』の試合だったんですが、その時の感動と衝撃が20年経った今でも鮮明に記憶に残っています。右も左もわからないけど、配信画面からは凄い高い次元で戦ってるのが伝わってきました。もの凄い声を張り上げて、訳のわからない神業みたいな連携で戦ってる選手の姿が本当にカッコよくて——。ゲームの試合なのに実況と解説がついてるのも衝撃で、そのカッコよさをさらに引き立てていました。
しかも、この日本予選で優勝すれば賞金10万円とハイエンドなビデオカードが貰えて、アメリカで開催される世界大会に出場できるというのです。
「ゲームでアメリカ?」クイズでニューヨークに行ける以上のお話です。
そして世界大会の優勝賞金はなんと3万ドル!(当時の為替レートで約360万円)
ただただ驚愕でした。この『Counter-Strike』をやってる人たちは、私と同じFPSという種類のゲームを遊んでいるだけのはずなのに次元が違いすぎました。
いや、これは遊んでるんじゃない。真剣勝負の競技をしているのかこの人達は。なるほどこれはゲームじゃない。
ゲームじゃなくてeスポーツなのか!
と、こんな感じで私のeスポーツ元年がスタートしたのでした。
まとめ
ということで今回のお話しはここまで。誰がどういう定義で決めたのか「eスポーツ元年」という言葉がひとり歩きしている昨今ですが、思い返してみればもう20年以上前からあった世界だったんですね。
ただeスポーツ元年の考え方はひとそれぞれです。その人がeスポーツに巡り会い、感銘を受けた年がその人にとってのeスポーツ元年なのです。
あなたのeスポーツ元年は何年ですか?
思い出の大会を振り返り、あなたなりのeスポーツ元年を見つけられるきっかけになれたら幸いです。ということで次回は私がオフライン大会にはまったきっかけを時代とともに紹介していきたいと思います。
やすお(OFF)
1996年からPCゲーム沼に漬かってきたオールドゲーマー。青春時代をeスポーツに捧げ、黎明期のeスポーツシーンを記録する活動をしてきた。趣味はeスポーツサイン集め。2004年当時、国内最強チームであった4dimensioNのメンバーが初めて書いたサインが家宝。直近の目標はZETA DIVISIONメンバーのサインを獲得する事。
Twitter:@offeryasu
1996年からPCゲーム沼に漬かってきたオールドゲーマー。青春時代をeスポーツに捧げ、黎明期のeスポーツシーンを記録する活動をしてきた。趣味はeスポーツサイン集め。2004年当時、国内最強チームであった4dimensioNのメンバーが初めて書いたサインが家宝。直近の目標はZETA DIVISIONメンバーのサインを獲得する事。
Twitter:@offeryasu
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