【DFMオーナー 梅崎伸幸氏インタビュー 前編】200万円から始まった挑戦——DetonatioN FocusMe誕生秘話

数ある国内eスポーツチームの中でも、古参かつトップシーンを走り続けているのがDetonatioN FocusMe(でとねーしょん・ふぉーかすみー/略称:DFM)。2012年に「DetonatioN」として産声を上げたプロeスポーツチームは、今もなお活動の勢いが衰えることなく、日本を代表する存在へと成長を遂げている。

そんなDFMの代表を務めるのが、創設者の梅崎伸幸氏だ。2012年の設立当初からチームを率い続け、日本のプロeスポーツ黎明期をけん引した人物として知られている。経営者としてだけでなく、選手として、またeスポーツシーンの発展を支えてきた立役者のひとりでもある。

今年に入ってDFMはその勢いをさらに加速。サウジアラビアで開催された世界最大級のeスポーツ大会「Esports World Cup 2025」では、日本で唯一Club Championship Ranking(全競技を通じての総合順位上位)に入賞。同大会では格闘ゲーム部門でも多くの日本人選手が奮闘し、DFMの存在感を示した。また、FPSタイトル『VALORANT』では国際リーグ「VCT Pacific」にてプレーオフ進出。MOBAタイトル『リーグ・オブ・レジェンド』でも国際リーグ「League of Legends Championship Pacific(LCP)」参戦1年目にして初のプレーオフ進出を果たすなど、さまざまなジャンルで好成績を残している。

今回はそんなDFMオーナーの梅崎氏にインタビュー。前編ではチーム設立から買収に至るまでの道のり、そしてその裏にあった葛藤や決断について語ってもらった。

梅崎伸幸(うめざき のぶゆき)


株式会社DetonatioN代表取締役CEO。2012年にチームを設立し、2015年に日本初の給与制プロチーム「DetonatioN FocusMe」を発足。現在は経営者としてだけでなく、日本eスポーツ連合(JeSU)理事としても活動している。

社会人ゲーマーからはじまったeスポーツチーム発足秘話


——DetonatioN FocusMeといえば国内トップクラスの歴史を持つチームです。まず、梅崎さんがeスポーツチームを作るに至った経緯をお聞かせください。

梅崎:僕自身FPSタイトルの『CrossFire』や『カウンターストライクオンライン』をプレーするいちプレーヤーでした。当時は社会人だということもあり、世界の舞台にも出ることは夢のまた夢。ある意味カジュアルにゲームを楽しんでいたのですが、ある日「本気で上を目指したい」という意識が芽生えて、チームを結成したのがはじまりでした。

▲5人1組の2チームに分かれて対戦する、爆破系タイトルの金字塔「カウンターストライク」シリーズ。その派生ともいえるタイトルが『カウンターストライクオンライン』だ。(写真は最新作の『カウンターストライク 2』のもの)

——当時はどんなメンバーがいたのでしょうか。

梅崎:現在もプロ選手として活躍しているnethくんや、キャスターで活躍しているOooDaさんといった、まだまだ現役で活躍されている方もいましたね。そんなメンバーが集まって「一緒にチームを盛り上げていこうよ!」ってできたのが、DetonatioN FocusMeの前身となるDetonatioNだったんです。2012年の7月の出来事ですね。

——なるほど、13年前ですね。結成直後からすでに“プロチーム”という立ち位置だったのでしょうか。

梅崎:そこは線引きが難しいところですね。

当時、ゲーミングデバイスブランドZOWIE GEARさんの販売・代理店であるマスターシード株式会社さんがスポンサーになってくれました。スポンサーといっても物品提供のみだったので、これを“プロチーム”というのかというと難しい判断ですよね。

▲現在はゲーミングモニターブランドでもあるBenQの傘下に入っているZOWIE。かつては、ZOWIE GEARとしてゲーミングデバイスを開発・発売していた(出典:ZOWIE公式サイト(2015年当時、Wayback Machine))

——確かに物品提供だけだと、セミプロというか競技チームみたいな立ち位置感はありますもんね。

梅崎:ただ僕は(プロチームだと)言い切った方がいいと思っていたので、プロチームと名乗って活動し始めました。当時は「男である以上、一度は世界大会に出てみたい」という意気込みでがんばっていました。

その後、たまたま運良く世界大会(World Cyber Games)に出ることができたのですが、ボコボコに負けてしまい悔しい思いをしたのを今でも覚えています。特にnethくんは悔しがっていたなぁ。当時高校生でしたしね。

——夢を叶えた直後に味わう挫折——。そこからどう気持ちが変わっていったんですか?

梅崎:当時のeスポーツチームって“設立してもすぐ解散”っていうのが繰り返されていた時代だったんです。そんなとき、NEXONの担当者の方から「ひとつの競技シーンに特化して、長く続けていけるようなチームを作って、その経営側に回ったらどうなの?」ってアドバイスされました。

僕も当時は30歳くらいで、ほかの選手に比べたら年齢が高かったこともあり、意を決して選手活動を引退。チームのオーナーになることを決めました。その頃(2013年4月)ですね『リーグ・オブ・レジェンド』の部門を設立したのは。

——ということは、選手は引退したけれど、社会人の傍らチームのオーナーになるみたいな?

梅崎:そうですね。実際に仕事を辞めたのは2014年の12月なので、そこまでは兼業という形でチームを運営していました。まあ、正直いうとすごく辛かった時代ですよ(笑)。

僕はサラリーマン時代、営業職だったんですけど、朝は普通に仕事に出て、仕事を終わらせたあとeスポーツ関連の打ち合わせをやったり——。

当時はチームを運営する人間が誰もいなかったので、マネージャーもやらなければならない、スポンサーの営業もしなければならない、企画も作らなければならない——。その資金繰りはどうするんだってなって、当時、自分のお財布の貯金200万円でがんばってましたよ。


——えええっ。すごい時代だ……。チーム内に社員的な方はいなかったのでしょうか。

梅崎:有志のボランティア的な方はいました。実は今でもユニホームやクリエイティブなデザインをやっていただいている方も、当時はボランティアとして一緒に手伝ってくれていました。

——その頃は、プロのeスポーツチームといっても国内ではまだ前例がないような時代だったかと思います。勤めていた会社を辞め、プロeスポーツチームのオーナー一本で生きていくということに不安はなかったのでしょうか。

梅崎:不安はありましたよ。ただ僕に付いてきてくれた選手やボランティアの方もたくさんいるわけで、不安というよりも“裏切れない”という気持ちの方が強かったです。まあ、僕にとってDetonatioNというチームは、もう後に引けないほど大きな存在になっていました。

ただ、本職を辞めるタイミングの際は、とても不安だったので当時SANKOの鈴木社長に「僕は営業が得意なんで、お仕事いただけませんか」ってお願いしに行ったのは今でも覚えています。

▲現在は一般社団法人日本eスポーツ連合(JeSU)の理事であり、株式会社CELLORB代表取締役社長を務める鈴木文雄氏。広告代理店SANKOの代表として活動していた当時、eスポーツの可能性を感じ、LJL設立に携わった(参考:https://esports-world.jp/interview/39786#toc2

優勝から本格的に動き出したチームの歩み


——仕事を辞め、身銭を切ってのスタートとなったDetonatioNですが、転機はあったのでしょうか。

梅崎:2014年といえば『リーグ・オブ・レジェンド』(LoL)の国内「League of Legends Japan League(LJL)」が開催された年です。そして、栄えあるグランドファイナルの大会で見事初優勝したことが大きな転機となります。

▲「東京ゲームショウ 2014」で開催された「LJL」のグランドファイナル。ここで見事DetonatioNのリーグ・オブ・レジェンド部門が初優勝を収めたのだ。当時の記録はチーム公式ニュースで配信されており、そこにはマネージャーとして梅崎さんが執筆されていることが分かる(出典:https://team-detonation.net/news/3431

この優勝を機に多くの企業さんからスポンサーのお声がけをしていただけるようになりました。この時「eスポーツチームとして食べていけるんじゃないか」という自信と期待が出てきましたね。

そこからです。改めて選手にしっかりと報酬を支払ってフルタイムで活動してもらう“本当のプロチーム”になったのは。2015年1月に正式発表をし、2月にはゲーミングハウスでの活動がスタートしました。

——話を戻すと、もともとは「カウンターストライク」シリーズといったFPSからスタートしたチームでしたよね。なぜ急に『リーグ・オブ・レジェンド』の部門を立ち上げたのでしょうか。

梅崎:これ、実はOooDaさんの一声がきっかけだったんですよ。「梅崎さん! これからの時代はLoLだよ!」って(笑)。

僕も当時はFPSプレーヤーだったので、「えっ? LoL? 何それ興味ないよ(笑)」みたいなレベル感だったんですよ。それでも食い下がらずに「いやいや、LoLはこれから来るから。絶対にやっておいた方がいいって!」って。

そこまでいうんだったら「それじゃぁ、やろう」ってなるじゃないですか。そこで、当時アマチュアチームだったFocusMeと一緒になって部門を作ったんです。

——すごい。OooDaさん、めちゃめちゃ先見の明があったってことじゃないですか!

梅崎:そうですよ!

そこから『カウンターストライク』にこだわらず、「マルチチームとしてやっていこうね」というスタンスで、さまざまな部門を設立することになりました。規模をどんどん大きくしていくなかで、未開であるeスポーツでスポンサーを取りに行くという動きを積極的にやっていました。なのでDetonatioNって実は1年目から大黒字でスタートしたんです。

そういった経緯もあって、2015年11月にはチーム名をDetonatioNから、DetonatioN Gamingへ改名し、ロゴも刷新しました。

——何もないところからスタートして1年目で大黒字ですか……。すごいですね。

梅崎:まあ運もありましたね。これ、このまま語っちゃうと一冊の本になっちゃうくらい話しちゃうな(笑)。

——(笑)。

M&AからDetonatioN FocusMeへ


——そこから時を経て2021年には、攻略サイトでもおなじみの株式会社GameWithにM&A(合併)されました。梅崎さん的に、このM&Aはどういった思いがありましたか?

▲チームの公式サイトにも「プロeスポーツチーム「DetonatioN Gaming」を運営する株式会社 DetonatioN、GameWith による子会社化に関するお知らせ」として当時の背景が掲載されている(出典:https://team-detonation.net/news/36423

梅崎:ぶっちゃけた話をすると、最後の最後まで悩みました。ただ、チームをさらに大きくしていくためには、どうしても資本の力が必要でした。当時、僕たちは『リーグ・オブ・レジェンド』をはじめ、2020年にリリースされた『VALORANT』など、複数のタイトルで世界を見据えて戦っていました。そうした部門が第一線で活躍し続けるには、“強さ”だけでは限界がある。

そこでいくつかの企業さんとお話をさせてもらったのですが、一番熱意を感じたのがGameWithさんでした。

——その熱量に心打たれたみたいな?

梅崎:いやぁ、熱量もですが、なんかすごかったですよ(笑)。

当時の方はもう辞めてしまったんですけど、その方は僕の家の近くにあるジムにまで通い始めたんですよ。そんなもんだからめっちゃ会うようになるじゃないですか(笑)。

——なかなか昭和感あふれる営業ですね(笑)。

梅崎:いやあ、こんな古くさい手法やる人——「逆にアリだな」なんて思いましたよ(笑)。

ちなみに株式会社GameWithのeスポーツチームTEAM GameWithと、我々が運営しているeスポーツチームDetonatioN Gamingを統合して、リーグ・オブ・レジェンド部門のチーム名でもあるDetonatioN FocusMeを新チーム名として改称することになりました。

これが2022年12月の話ですね。

——チーム名もDetonatioN FocusMeに統一され、まさに再出発となったわけですが、正直この時期は競技シーンでなかなか結果が出せない時期が続いていたと思います。特に『リーグ・オブ・レジェンド』や『VALORANT』の両部門は、世界で戦うチームとして名前こそ知られていたものの、成績面では苦戦が続いていましたよね。

梅崎:まずこの2年間、ものすごくどん底だったと思いませんか?

——まあ、いろいろありましたからね……。

梅崎:その間いろいろなことがありましたが、端的にいえば「大会でずっと勝てていなかった」。大会で勝てないということは社員のモチベーションも僕のモチベーションも下がります。勝てないチームがスポンサー企業さんに新たな支援をお願いするのは、やはり難しいものがあります。

実は僕自身、精神的に辛くてギブアップが脳裏によぎるようになりました。

——今まではチームのオーナーだった梅崎さんが、GameWithグループの一員となったことで、CEO(チームの経営責任者)という立場に変わりました。そうした環境の変化も、チーム運営の難しさに影響していたのでしょうか。

梅崎:CEOの立場としては、正直かなり難しい時期でした。株式会社DetonatioNとしての業績も思うように伸びず、同時に『VALORANT』や『リーグ・オブ・レジェンド』といった世界的なタイトルに投資を続けなければならなかった。

特にこの2タイトルは“Tier1”と呼ばれる、いわば最上位の競技タイトル。運営コストもTier1なんです。どちらも続けるというのは、資金的にも相当な覚悟が必要でした。会社としては当然利益を求められますが、リーグの縮小や大会環境の変化もあり、以前のように勢いだけで突破できる時代ではなくなっていました。

正直、僕自身も「このままやっていけるのか」と思う瞬間は何度もありましたね。

それでも支えてくれたのがスタッフたちなんです。この苦しい苦しい2年間、社員の離職率はゼロ。24〜25名ほどのチームですが、誰ひとり辞めていない。給与面で大きな上昇があるわけでもないのに、みんな「梅崎さんについていきたい」と言ってくれるんです。

もう本当に、ありがたいという言葉しか出てこないですね。

———

ということで前編はここまで。今もなお最前線で活躍するDetonatioN FocusMeが、どのような経緯で“日本のプロeスポーツシーンを切り開いたチーム”として歩み始めたのか——その原点を感じていただけただろうか。

eスポーツという言葉がまだ浸透していなかった2010年代前半、梅崎さんはすでに「プロ」という意識を持ち、営業職で培ったスキルを武器に資金繰りの道を切り開いていった。そして本業を辞め、チームオーナーとして生きる覚悟を決めたのであった。

後編では、DetonatioN FocusMeが本格的に“日本を代表するチーム”へと成長していく過程、そして現在の経営体制や新たな挑戦について迫る。


撮影:いのかわゆう
編集:いのかわゆう


【井ノ川結希(いのかわゆう)プロフィール】
ゲーム好きが高じて19歳でゲーム系の出版社に就職。その後、フリーランスでライター、編集、ディレクターなど多岐にわたり活動している。最近はまっているゲームは『Bloodborne』。

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