【高橋名人インタビュー:前編】高橋名人誕生秘話 〜 還暦を迎えた伝説の16ショット! 〜

2020.4.8 井ノ川結希(いのかわゆう)
中高年であれば知らない人はいない。伝説のプレイヤーとして名を残した高橋名人

今でこそプロゲーマーという職業が当たり前になっているが、30年以上も前にゲーム会社の中の人がタレントとして世に出て、「ハドソン全国キャラバン」といったゲーム大会を連日開催するという偉業を成し遂げた。

今回は「eスポーツ」という言葉もなかったような時代、まさにテレビゲームにおける革命を0から作り出した人物である名人が、昨今のeスポーツシーンをどう見ているのか、そして今後日本のゲーム、eスポーツはどうなっていくべきと考えているのかをうかがってみた。

前半は当時少年少女だった読者には懐かしい、ファミコン全盛期〜名人誕生秘話についてご紹介していこう。

高橋名人

本名高橋利幸。1959年5月23日生まれ北海道札幌市出身。株式会社ドキドキグルーヴワークス代表取締役「名人」でもあり、株式会社MAGES.「名人」職でもある。

1982年に株式会社ハドソンに入社。第1回「ハドソン全国キャラバン」で高橋名人の称号を確立した。その後も、「ハドソン全国キャラバン」を中心に名人として活躍している。「16連射」や「ゲームは1日1時間」などの流行語を生み出した。

名人としての活動だけでなく、歌手や声優、司会業、タレント活動も行っている。

■高橋名人のゲーム35年史(著:高橋名人)


もともとは技術屋だったハドソンが一変
ファミコンソフトメーカーに!


——さっそくですが、高橋名人がいわゆる「名人」になるまで、どのような経緯があったのですか?

高橋名人:短大中退後、もともとは札幌のフードセンターで働いていたのですが、パソコンのプログラムに興味を持った僕は82年にフードセンターを辞め、ハドソンに入社しました。

——えっ。ハドソンはもともとファミコンのソフトを作る会社ではなかった?

高橋名人:そうですね。ハドソン自体は1973年に創立された会社で、もともとは喫茶店とかに写真をレンタルする会社だったんです。その後、アマチュア無線の販売を開始し、その傍らパソコンのソフトウェアの制作をしていました。

なのでどちらかというとい技術屋という感じですね。

ファミコンが発売したのが83年ですので、僕が入社した頃もそんな感じでした。

——なるほど。ファミコンが出始めてからハドソンもゲームソフトを作るようになったんですね

高橋名人:そうですね。意外と知られていないのですが、ハドソンが最初に作ったのは『ファミリーベーシック』なんですよ。


——ええっ! そうだったんですか?

高橋名人:『ファミリーベーシック』はハドソンが開発したHu-BASICという言語をもとに作られています。ただ家庭用といえども、プログラム言語を入力してプログラムを走らせるのですから、やっぱり敷居は高い。

そこで、もっと子どもたちにわかりやすいようにと、イラスト付きの解説書を作ったのが僕にとってファミコンの初仕事ですね。

▲小学生でもプログラミングしやすいよう、漫画でわかりやすくプログラム言語を解説している。本書には高橋名人が実際に作ったゲームが解説されているのだ

『ファミリーベーシック』とは

任天堂が1984年に発売した『ファミリーコンピュータ』の周辺機器。カセットとキーボードをファミコン本体に接続することで簡単なプログラムを自作することができる。

▲キー配列はいわゆるQWERTY配列に近いものだが、カナは左上からアイウエオ順になっているのが特徴

簡単な作曲も可能で、筆者はこれで作曲して遊んでいた時代もあった。

——そんな技術屋的なハドソンが、なぜファミコンのソフトを作るようになったんでしょうか?

高橋名人:そもそもハドソンがファミコンに携わったのは、先ほどの『ファミリーベーシック』がきっかけです。

なぜかというと、当時のファミコンの人気は本当にすごかったんです。ファミコンが発売される前はパソコンでゲームが発売されていました。大ヒットっていっても1〜5万本とかその程度です。

対するファミコンは、出せばヒットする時代。30万、40万本は当たり前の時代だったんです。

そこで、ハドソンも「じゃあファミコンのソフト作ってみるか!」と作ったのがこの『ロードランナー』と『ナッツ&ミルク』です。

ロードランナーとは

1984年7月に発売されたアクションパズルゲームで、オリジナルのパソコン版をハドソンがファミコン用に移植したものである。オリジナルが1画面タイプだったのに対し、ファミコン版はマップがスクロールする画期的な手法をとっている。

▲画面がスクロールする技術はファミコン初。このスクロールを編み出したのも高橋名人なのだ

ナッツ&ミルクとは

1984年7月に発売されたファミコンソフトで、パソコン版の移植にあたる。コミカルでかわいいパズルアクションゲーム。主人公であるミルクは、立ちはだかるナッツを回避しながら恋人ヨーグルのもとへと向かう。

▲タイトルから想像するに、ナッツが主人公で、ミルクが恋人な雰囲気だが、実はナッツはこの青い敵キャラ。執拗にミルクに迫ってくる動きがシュールでもあり難易度を高めていた

『ロードランナー』なんかは発売してすぐに100万本の大ヒット。ここまで売れたらじゃあ次もってなるわけじゃないですか?

そこで翌1985年に発売されたのが『バンゲリングベイ』です。

——あぁ……。あの伝説のゲームですね

高橋名人:はい。

当時、小学館さんにご協力をいただいてファミコンソフトを展開していったのですが、その頃発売されていた「コロコロコミック」でファミコンを題材にした「ファミコンロッキー」という漫画の連載が話に上がってきたんです。

ちょうど『バンゲリングベイ』の発売時期に近かったこともあり、『バンゲリングベイ』を題材に書いてもらったんです。そしたら、漫画は大盛況で大ヒット!

——おおっ!

高橋名人:ただ、肝心のソフトがね……。
そうでもなかったっていう(笑)。

バンゲリングベイとは

見下ろし型の全方位スクロールシューティングゲームで、自機を操り、空母を防衛しながら敵機を倒して行くという内容。当時はその斬新な操作性が難しすぎる上、唐突にゲーム世界に放り出される難解なシナリオに「クソゲー」のレッテルを貼られてしまった早すぎた名作でもある。

▲どの方向を向いていても十字ボタンの上で前進、下で後退という今でこそ当たり前の操作をこの時代に実現させた本タイトル。実は2P側で敵砲台を操作できるという画期的なシステムも採用。マイクを使えば戦闘機をスクランブルさせることもできた

——あのソフトは、ちょっと時代を先取りしすぎましたね(笑)

高橋名人:まあね(笑)。
世間的にはクソゲーなんて言われたりして、「どうしよう……」ってね。それで、次に発売されるのが『チャンピオンシップロードランナー』ですよ。

当然社内では「もしかしたら、このソフトもやばいんじゃないの?」って話になりますよね。

そこでたまたまお声がかかった「コロコロ漫画まつり」で、『チャンピオンシップロードランナー』を小学生の前でプレゼンしたのが、ハドソン全国キャラバンの走りになります。

——『チャンピオンシップロードランナー』といえば屈指の難易度を誇るゲームでしたね

高橋名人:ですね。10面だったかな、ステージ開始直後にロボットの上に乗って進まなければいけないステージがあるんだけど、タイミングが難しすぎてプレゼンの最中に3回も失敗しちゃったんだよね(笑)。

んで、いよいよあとがないってところで成功したんだけど、そしたら見に来てくれた子どもたちが「すっげーー! 難しそうだーー!」ってすごい反響だったのよ。

それを見たとき「あれっ、成功するだけが正解じゃないのかな」と思いましたね。

チャンピオンシップロードランナーとは

1985年4月に発売された『ロードランナー』の続編。とてつもなく難易度が増した続編で1面から初心者お断り感漂う難しさとなっている。

▲ステージ10では開始直後にロボットの上に乗り、右側のくぼみに入らなければならない。やること自体は簡単だが、タイミングが非常にシビアな上、ロボットに乗っている最中に十字ボタンを下に入力して高さを微調整する必要があるなど、見た目以上の難易度

——なるほど。ここでいわゆる高橋名人が生まれたんですか?

高橋名人:いや、まだこの頃は名人ではありませんでした。

ただ、この『コロコロ漫画まつり』が大盛況だったので、「これ、大会にして全国展開したら面白いんじゃない?」って話になってハドソン全国キャラバンがスタートしました。

ついに始まった全国キャラバン!
もうひとりの名人の誕生!


——「ハドソン全国キャラバン」はどういったものからスタートしたんですか?

高橋名人:ひとまず北海道から沖縄まで全国各地でゲーム大会をするというのが目的でした。この「ハドソン全国キャラバン」が始まる頃ですね。僕が名人と呼ばれるようになったのは。

ただ、『チャンピオンシップロードランナー』はパズルアクションなのでゲーム大会となると不向きなソフトなんです。

そこで1985年6月に発売されるシューティングゲーム『スターフォース』が種目タイトルに選ばれました。

スターフォースとは

1985年6月に発売した縦スクロールシューティング。アーケード版の移植で軽快なサウンドと、やりこみ度の高い隠しボーナスなどで人気を博した。

▲合体浮遊要塞ラリオス。合体する前にコアにショットを打ち込み破壊することで5万点のボーナスが入る。これがハイスコアを狙う「ハドソン全国キャラバン」にとって大きな存在を担っている

——「ハドソン全国キャラバン」は全国を小中学生の夏休み中に回るとのことでしたが、当時どのようにして全国縦断していたんですか?

高橋名人:全国展開しているチェーン店さんにお願いしてスペースを確保し、ファミコンをつんだいわゆる「キャランバンカー」で全国各地を回りました。

▲側面からブラウン管がズラリ。見ているだけでワクワクしちゃうキャラバンカー(出典:高橋名人ブログ「16連射のつぶやき」)

ただ夏休みの期間で全国回るには2チーム必要だよね。という話になって、そうなったら「名人もふたりいるよね?」ということになるんです。

僕の身体はひとつしかありませんから(笑)。
そこで、当時ハドソンのイベントによく来ていた学生に声をかけてみたんです。

高橋:「おっ、キミはゲームうまいの?」
学生:「そこそこやりますね」
高橋:「じゃあ、今度ハドソンに遊びにおいでよ」

こんな感じで彼をハドソンに呼び出して、


「ここにスタフォースがあるから、ちょっとやってみてよ」

っていってゲームをやらせてみたら、これがまた結構いい点数出すんですよ。そこでさらに、

「キミさぁ、夏休み暇? ちょっとバイトしてみない?」

ってことで誕生したのが「毛利名人」です(笑)。

——すごい流れですね! まさか彼も自分が名人になるなんて思ってもいなかったでしょうね

高橋名人:多分ね(笑)。

毛利名人とは

『スターフォース』のキャラバンで名人デビューを果たした、高橋名人に次ぐ名人。パワーをウリにする高橋名人に対し、理論的に立ち回る毛利名人。当時は「力の高橋、技の毛利」とも言われふたりの名人対決を描いた映画「GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦」にも出演している。

現在はフリーライターとして活動中

Twitter:https://twitter.com/mouri_meijin

——いやあ、この「ハドソン全国キャラバン」っていうのは、今のeスポーツ大会の走りでもあると思いますね。ただ、当時の大会って賞金もなければ、賞品もない。ただ子どもたちは遊びに来ているという感覚だったと思うんです。ぶっちゃけのところ、予算とか売り上げとかどういう感じだったのですか?

高橋名人:売り上げは度外視ですね。あくまで販促活動でしたから。

ただ「ハドソン全国キャラバン」に参加するには「ハドソンオリジナルジョイスティック」を使うことが条件だったんです。


——なるほど! これみんな持ってましたもんね。これってどういう経緯で生まれたデバイスなんですか?

高橋名人:実のところ何も考えてないんですよ(笑)。

「ジョイスティックがあったら売れるんじゃないか」っていう単純な理由ですよ。

作ったからには売らなければならない。ということで参加条件に「ジョイスティックでプレイすること」が決まったんです。

——あらっ、その辺は割とシンプルな理由だったんですね。

高橋名人:これ面白いのがレバーの上にもボタンがあるんですよ。

——そうそう。このボタンどういう意味があったんですか?

高橋名人:これは片手をケガしていても片手で操作できるように設計されてるんですよ。

——ええっ、そうだったんですか!

高橋名人:まあ連射は難しいけどね(笑)。

▲いわゆるアケコンのレバーとは違い、長い棒状のレバーを採用しているのが「ハドソンスティック」の特徴。レバー上部にはボタンがあり、こちらでもショットを撃つことができる

——そんな一躍有名となった高橋名人ですが、当時名人としての報酬はどれくらいあったんですか?

高橋名人:ないですね(笑)。

——えっ?

高橋名人:普段通りの固定給だけでした。その辺は今のプロゲーマーとまったく違うところですね(笑)。

——それはそれは……。これも時代なんですね。ところで、名人と言えばやっぱり16連射。これについてコツとかあるんですか?

高橋名人:簡単に言うと物理の法則で、ボタンと指が近ければ近いほど早く連射できる。ただそれだけです。

いかにボタンの近くで振動するかに限ります。ボタンと指の距離を1mm位で振幅する。これがコツです。


——ぎゃああ、はやい!

高橋名人:これがもう年をとると3mmくらいになっちゃうんだよね。

——連射つながりで恐縮ですけど、実際に今プレイしてもらってもいいですか?

高橋名人:じゃあ『スターフォース』でラリオスのボーナスでもねらってみますか。

——おおっ!



——は、はやいっ。全然衰えてないじゃないですかっ!

連射のすごさを物語る動画の解説

動画の見どころであるラリオスの5万点ボーナス。簡単に説明すると、ラリオスは最初分解された状態で登場し、画面中央で合体をする敵。合体の途中、中心のコアが光ったあとにコアに8発撃ち込み合体を阻止することで5万点ボーナスが得られるのだ。


また、コアが光る前にショットを打ち込んでしまうとラリオスの耐久度が増す。つまり光る前に1発撃ち込んでしまうと、耐久度は9発に、2発撃ち込んでしまうと耐久度は10発になってしまうのだ。


高橋名人の動画を改めて見て欲しい。液晶モニターの遅延もあってか、染みついたタイミングが原因か、名人はコアが光る前にショットを撃ち込み始めている。


つまり耐久度が増したラリオスに対してこのスピードで、しかも手連で倒しているのだから、いやはや恐ろしいテクニックである。

———

こうして「ハドソン全国キャラバン」は1985年からスタートし、1997年までは毎年開催されていた。今思えば、EVOカプコンプロツアーのように毎年行われる大会のようにも見える。

賞金こそないものの、毎年新作ソフトで大会が開かれるというのは非常にスピーディーな展開で今のeスポーツ大会に引けをとらない盛り上がりがあったのは間違いない。

ということで前編はここまで。後編では「高橋名人が見る現在のeスポーツシーン」についてをご紹介していこう。

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