中野サガット、「EVO 2019」で世界チャンピオンに!! 26年ぶり復活の舞台裏とは? (1/2)
26年前、ひとりの少年がスーパーファミコンを用いた全国大会「ストリートファイターII ターボ チャンピオンシップ '93 in 国技館」で、参加者8500人の中から優勝を勝ち取った。彼の名は中野貴博、通称“中野サガット”。
そんな彼が時を経て、2019年8月2日(金)〜8月5日(月)に開催された「EVO 2019」のサイドトーナメント、『スーパーストリートファイターII X』において、決勝戦で「EVO 2018」の優勝者を破り、世界チャンピオンの座を勝ち取った。
実は彼は現在、京都でeスポーツチームを運営する株式会社スサノオの代表取締役として、eスポーツビジネスに携わり全力を注いでいる。しかし、26年前に全日本チャンピオンになって以降、ゲーム業界に表立って現れることはなかった。彼がゲームの世界に再び舞い戻ってきたきっかけも、eスポーツの隆盛と深い関わりがある。
中野少年はその後どのような人生を歩み、いままたeスポーツの旗手として表舞台に現れたのか。26年ぶりにゲーム大会で優勝を果たした実感、eスポーツ会社の代表に就いたきっかけなどを、「東京ゲームショウ 2019」に沸く幕張メッセでうかがった。
――まずはEVO 2019での優勝おめでとうございます! ところで『ストリートファイターII ターボ 』の優勝から随分と時間が空いていましたが、なぜまた大会に出たいと思うようになったのですか?
中野サガット(以下、中野):僕自身、全日本チャンピオンを取ったあとはゲームとは疎遠な生活を続けていたのですが、2017年にNintendo Switchで『ストII』の最新作として『ウルトラストリートファイターII』が発売されましたよね。
このゲームがきっかけでTwitterを始めたんです。そこで今でも『スーパーストリートファイターII X』(以下、スパ2X)をやっているプレイヤーがいるということを知って、ものすごく感動したのを覚えています。
さらに家から車で10分くらいの距離にあるゲームセンターで、いまだに『スパ2X』がフル稼働しているという話を聞き、再び『スパ2X』をやりはじめたのが、本格的に復帰したきっかけですね。
――なるほど。25年も前のタイトルでもある『スパ2X』ですが、どのようなプレイヤーがいるのでしょうか?
中野:今年で41歳になるのですが、『スパ2X』のプレイヤーは同年代よりも上の人が圧倒的に多いです。
特に先ほどもお話ししたエンパラにいるプレイヤーは非常にストイックで、システムの限界まで突き詰めていくプレイヤーばかり。今回僕は「EVO 2019」で優勝できましたけど、エンパラで対戦すると勝率は2割いくかいかないかくらいです。
――そんなに低いんですか!?
中野:来るときは30人以上集まるときもあるのですが、それでも2割ですから。みんなメチャクチャ強いんですよ(笑)。なので、その方たちが「EVO 2019」に出ていたら僕は間違いなく負けていますね(笑)。
——『鉄拳7』のArslan Ash選手みたいじゃないですか(笑)。
中野:まさにそんな感じですよ。
——そんな環境で揉まれてきたなかからの「EVO 2019」出場だったのですね。
中野:今回の「EVO 2019」出場に関しても、もともとは京都スサノオに所属している選手の写真を撮影したり、応援をしたりと、彼らの功績を記録に残そうという役割で同行する予定でした。
とは言え、eスポーツに関わる以上、役員もゲームをやらなければというスサノオのポリシーもあり、大会に参加する運びとなりました。
——えっ? 役員も?
中野:はい。僕と副社長も一緒に行きまして、ふたりとも大会に出ました(笑)。
僕は最新作の『サムライスピリッツ』と『ストリートファイターV アーケードエディション』、『スパ2X』にエントリーして、『スパ2X』で優勝したんです。
——今回優勝できた決め手はなんだったのでしょうか?
中野:今大会は、非常に運の要素が大きかったですね。
まず、アメリカの強豪プレイヤーの中でも、さらに強者と呼ばれているプレイヤーが参加していなかったこと。『スパ2X』では異常な強さを誇っているバルログ使いの選手が途中で敗退していたこと。
そして、最後の対戦相手がベガだったということですね。
——ベガ相手だったことが運が良かった?
中野:はい。僕は仕事で東京に来ることが多いのですが、その時に「オロナイン」というプレイヤーの家に泊めてもらうことがあるんです。彼も『スパ2X』プレイヤーでベガを使うのですが、泊まりに行くと延々と対戦をせがまれるんです(笑)。
それでずーーーっと春麗 VS ベガ戦をやらされてきたので、ベガ戦はものすごく慣れていたんですよ。
決勝の相手は去年の優勝者だったのですが、オロナイン選手との練習も手伝って無事優勝できたのはうれしかったです。
——「EVO 2019」で見事優勝を勝ち取った中野さんですが、もちろん、中野サガットと言えば26年前の「ストリートファイターⅡターボ チャンピオンシップ '93 in 国技館」でのチャンピオンです。当時、どのような戦いが繰り広げられていたのですか?
中野:スーパーファミコン版の『ストリートファイターII』(以下、スト2)が発売されたとき、カセットを買ってしまえばずっと『スト2』ができるということもあって親に買ってもらったんです。ゲームセンターだと1ゲーム50円ですし、一日にそう何度も遊べるものではないですからね。
ちょうどその頃、全国のおもちゃ屋さん、いわゆるファミコンショップで、小さな大会が開かれるようになりました。これが1992年に開催された初代『スト2』の国技館大会予選です。
僕はいろいろなファミコンショップに行ってはその大会に出場していたのですが、ほとんどの大会で優勝していましたね。
——初代の頃から強かったんですね。
中野:その頃は敵なしでしたね。決勝戦は8月24日、国技館で行われたのですが、僕の誕生日が8月23日だったということもあり、誕生日プレゼントも兼ねて東京までの旅費を母親が出してくれました。
今思えば、当時中学二年生の息子から「(ゲーム大会に出るために)東京に行きたい」って言われて、ひとりで行かせる親ってすごいなって思いますね(笑)。
——確かに(笑)。
中野:今、僕には中学三年生の息子がいるんですが、息子から「東京に行きたい」って言われたら、行かせるかなあって考えちゃいますもんね。
それで旅費をもらった僕は夜行バスで東京に向かったものの、5回戦で負けて帰ってきたんですよ。
——あらら……。
中野:翌1993年、スーパーファミコン版『ストリートファイターII ターボ』(以下、スト2ターボ)が発売されました。また、国技館での大会が発表され、各地方のおもちゃ屋さんでも予選が行われました。
もちろん僕も予選に参加しました。僕の記憶では14カ所予選に参加しましたけど、全部優勝しました!
——すごすぎる! ちなみに、その当時勝ち続けていられた理由ってなんだと思いますか?
中野:自分でもわからないです(笑)。
ただ、近所の友だちが練習相手で、毎日のように対戦していましたね。あと当時はトレーニングモードなんてなかったですが、ひとりの時もふたり用でプレイして、棒立ちの相手に技の練習をしたり、2Pのコントローラを足の指で押さえながら、相手をしゃがませて連続技の練習をしたりはしていました。
——やっぱりその辺は研究熱心だったのですね。
中野:そうですね。
『スト2ターボ』でも国技館で大会が開催されるということを知った僕は、去年と同じように「今年も国技館に行ってみたい」って母親に言ったんです。そうしたら家庭の経済事情なのか、去年優勝せずに帰ってきたのが原因なのか、「アホか。そんな毎年毎年旅費なんて出していられるか!」と一蹴されてしまったんです(笑)。
地元では敵なしの僕にとっては、『スト2』のキャッチコピーである「俺より強い奴に会いに行く」がなかった。いわば「俺より強い奴はいない」状態だったんです(笑)。
なんとしてでも国技館に行き、俺より強い奴に会いに行きたかった僕は、母親に断られた直後に新聞配達のバイトを始め、コツコツ旅費を貯めて自分の力で国技館へと向かいました。
そして、前年の雪辱を果たして優勝しました。
——いやー、まさに自分で夢を勝ち取った瞬間ですね!
中野:そうですね。ちなみに当時の決勝戦の入場者数は公称で8500人、参加者数は7000人、予選参加者は20万人とも言われています。試合はBo1、つまり1戦限りの対戦での優勝です。もちろん、ダブルエリミネーションなんてルールもありませんでした。このルール自体、最近知ったくらいで(笑)。
——予選から数えて20万人のなかの勝者って、とてつもない数字ですね。
中野:決勝戦だけで8000人超ですからね。現在の「Capcom Pro Tour」の決勝戦は8人なので、単純計算で1000倍です。
【選手からeスポーツ企業の代表になったきっかけと心境については 】は次のページへ!
そんな彼が時を経て、2019年8月2日(金)〜8月5日(月)に開催された「EVO 2019」のサイドトーナメント、『スーパーストリートファイターII X』において、決勝戦で「EVO 2018」の優勝者を破り、世界チャンピオンの座を勝ち取った。
実は彼は現在、京都でeスポーツチームを運営する株式会社スサノオの代表取締役として、eスポーツビジネスに携わり全力を注いでいる。しかし、26年前に全日本チャンピオンになって以降、ゲーム業界に表立って現れることはなかった。彼がゲームの世界に再び舞い戻ってきたきっかけも、eスポーツの隆盛と深い関わりがある。
中野少年はその後どのような人生を歩み、いままたeスポーツの旗手として表舞台に現れたのか。26年ぶりにゲーム大会で優勝を果たした実感、eスポーツ会社の代表に就いたきっかけなどを、「東京ゲームショウ 2019」に沸く幕張メッセでうかがった。
中野サガット
名前の通りスト2シリーズのサガット使い。
『ストリートファイターII ターボ』チャンピオンシップ93in国技館の優勝者。
2018年6月5日、株式会社スサノオ設立前に勤務する会社のeスポーツ事業部の責任者に就任。
業界の地位向上及び若手プロゲーマーの育成などの活動に力を入れていく。
2019年2月27日、株式会社スサノオ設立。代表取締役に就任。
2019年5月6日、京都初のeスポーツ施設 e-sports FIELD YASAKAを開設。
引用:格ゲープレイヤーwiki
名前の通りスト2シリーズのサガット使い。
『ストリートファイターII ターボ』チャンピオンシップ93in国技館の優勝者。
2018年6月5日、株式会社スサノオ設立前に勤務する会社のeスポーツ事業部の責任者に就任。
業界の地位向上及び若手プロゲーマーの育成などの活動に力を入れていく。
2019年2月27日、株式会社スサノオ設立。代表取締役に就任。
2019年5月6日、京都初のeスポーツ施設 e-sports FIELD YASAKAを開設。
引用:格ゲープレイヤーwiki
格ゲーシーンに復帰した理由
――まずはEVO 2019での優勝おめでとうございます! ところで『ストリートファイターII ターボ 』の優勝から随分と時間が空いていましたが、なぜまた大会に出たいと思うようになったのですか?
中野サガット(以下、中野):僕自身、全日本チャンピオンを取ったあとはゲームとは疎遠な生活を続けていたのですが、2017年にNintendo Switchで『ストII』の最新作として『ウルトラストリートファイターII』が発売されましたよね。
このゲームがきっかけでTwitterを始めたんです。そこで今でも『スーパーストリートファイターII X』(以下、スパ2X)をやっているプレイヤーがいるということを知って、ものすごく感動したのを覚えています。
さらに家から車で10分くらいの距離にあるゲームセンターで、いまだに『スパ2X』がフル稼働しているという話を聞き、再び『スパ2X』をやりはじめたのが、本格的に復帰したきっかけですね。
――なるほど。25年も前のタイトルでもある『スパ2X』ですが、どのようなプレイヤーがいるのでしょうか?
中野:今年で41歳になるのですが、『スパ2X』のプレイヤーは同年代よりも上の人が圧倒的に多いです。
特に先ほどもお話ししたエンパラにいるプレイヤーは非常にストイックで、システムの限界まで突き詰めていくプレイヤーばかり。今回僕は「EVO 2019」で優勝できましたけど、エンパラで対戦すると勝率は2割いくかいかないかくらいです。
――そんなに低いんですか!?
中野:来るときは30人以上集まるときもあるのですが、それでも2割ですから。みんなメチャクチャ強いんですよ(笑)。なので、その方たちが「EVO 2019」に出ていたら僕は間違いなく負けていますね(笑)。
——『鉄拳7』のArslan Ash選手みたいじゃないですか(笑)。
中野:まさにそんな感じですよ。
Arslan Ash選手とは
「EVO JAPAN 2019」において『鉄拳7』で優勝したパキスタンの選手。当時無名のパキスタン人の彼が並み居る強豪をなぎ倒しまくり優勝したのは記憶に新しい。
さらに優勝後のインタビューでは「僕の国には、もっと強い人が7人いる。特に上6人は別格だ」という、まるでアニメのワンシーンのような発言をしたことで有名となった。
「EVO JAPAN 2019」において『鉄拳7』で優勝したパキスタンの選手。当時無名のパキスタン人の彼が並み居る強豪をなぎ倒しまくり優勝したのは記憶に新しい。
さらに優勝後のインタビューでは「僕の国には、もっと強い人が7人いる。特に上6人は別格だ」という、まるでアニメのワンシーンのような発言をしたことで有名となった。
——そんな環境で揉まれてきたなかからの「EVO 2019」出場だったのですね。
中野:今回の「EVO 2019」出場に関しても、もともとは京都スサノオに所属している選手の写真を撮影したり、応援をしたりと、彼らの功績を記録に残そうという役割で同行する予定でした。
とは言え、eスポーツに関わる以上、役員もゲームをやらなければというスサノオのポリシーもあり、大会に参加する運びとなりました。
——えっ? 役員も?
中野:はい。僕と副社長も一緒に行きまして、ふたりとも大会に出ました(笑)。
僕は最新作の『サムライスピリッツ』と『ストリートファイターV アーケードエディション』、『スパ2X』にエントリーして、『スパ2X』で優勝したんです。
「EVO 2019」優勝は「運」と「オロナイン」のおかげ
——今回優勝できた決め手はなんだったのでしょうか?
中野:今大会は、非常に運の要素が大きかったですね。
まず、アメリカの強豪プレイヤーの中でも、さらに強者と呼ばれているプレイヤーが参加していなかったこと。『スパ2X』では異常な強さを誇っているバルログ使いの選手が途中で敗退していたこと。
そして、最後の対戦相手がベガだったということですね。
——ベガ相手だったことが運が良かった?
中野:はい。僕は仕事で東京に来ることが多いのですが、その時に「オロナイン」というプレイヤーの家に泊めてもらうことがあるんです。彼も『スパ2X』プレイヤーでベガを使うのですが、泊まりに行くと延々と対戦をせがまれるんです(笑)。
それでずーーーっと春麗 VS ベガ戦をやらされてきたので、ベガ戦はものすごく慣れていたんですよ。
決勝の相手は去年の優勝者だったのですが、オロナイン選手との練習も手伝って無事優勝できたのはうれしかったです。
「俺より強い奴に会いに行く」ために新聞配達
——「EVO 2019」で見事優勝を勝ち取った中野さんですが、もちろん、中野サガットと言えば26年前の「ストリートファイターⅡターボ チャンピオンシップ '93 in 国技館」でのチャンピオンです。当時、どのような戦いが繰り広げられていたのですか?
中野:スーパーファミコン版の『ストリートファイターII』(以下、スト2)が発売されたとき、カセットを買ってしまえばずっと『スト2』ができるということもあって親に買ってもらったんです。ゲームセンターだと1ゲーム50円ですし、一日にそう何度も遊べるものではないですからね。
ちょうどその頃、全国のおもちゃ屋さん、いわゆるファミコンショップで、小さな大会が開かれるようになりました。これが1992年に開催された初代『スト2』の国技館大会予選です。
僕はいろいろなファミコンショップに行ってはその大会に出場していたのですが、ほとんどの大会で優勝していましたね。
——初代の頃から強かったんですね。
中野:その頃は敵なしでしたね。決勝戦は8月24日、国技館で行われたのですが、僕の誕生日が8月23日だったということもあり、誕生日プレゼントも兼ねて東京までの旅費を母親が出してくれました。
今思えば、当時中学二年生の息子から「(ゲーム大会に出るために)東京に行きたい」って言われて、ひとりで行かせる親ってすごいなって思いますね(笑)。
——確かに(笑)。
中野:今、僕には中学三年生の息子がいるんですが、息子から「東京に行きたい」って言われたら、行かせるかなあって考えちゃいますもんね。
それで旅費をもらった僕は夜行バスで東京に向かったものの、5回戦で負けて帰ってきたんですよ。
——あらら……。
中野:翌1993年、スーパーファミコン版『ストリートファイターII ターボ』(以下、スト2ターボ)が発売されました。また、国技館での大会が発表され、各地方のおもちゃ屋さんでも予選が行われました。
もちろん僕も予選に参加しました。僕の記憶では14カ所予選に参加しましたけど、全部優勝しました!
——すごすぎる! ちなみに、その当時勝ち続けていられた理由ってなんだと思いますか?
中野:自分でもわからないです(笑)。
ただ、近所の友だちが練習相手で、毎日のように対戦していましたね。あと当時はトレーニングモードなんてなかったですが、ひとりの時もふたり用でプレイして、棒立ちの相手に技の練習をしたり、2Pのコントローラを足の指で押さえながら、相手をしゃがませて連続技の練習をしたりはしていました。
——やっぱりその辺は研究熱心だったのですね。
中野:そうですね。
『スト2ターボ』でも国技館で大会が開催されるということを知った僕は、去年と同じように「今年も国技館に行ってみたい」って母親に言ったんです。そうしたら家庭の経済事情なのか、去年優勝せずに帰ってきたのが原因なのか、「アホか。そんな毎年毎年旅費なんて出していられるか!」と一蹴されてしまったんです(笑)。
地元では敵なしの僕にとっては、『スト2』のキャッチコピーである「俺より強い奴に会いに行く」がなかった。いわば「俺より強い奴はいない」状態だったんです(笑)。
なんとしてでも国技館に行き、俺より強い奴に会いに行きたかった僕は、母親に断られた直後に新聞配達のバイトを始め、コツコツ旅費を貯めて自分の力で国技館へと向かいました。
そして、前年の雪辱を果たして優勝しました。
——いやー、まさに自分で夢を勝ち取った瞬間ですね!
中野:そうですね。ちなみに当時の決勝戦の入場者数は公称で8500人、参加者数は7000人、予選参加者は20万人とも言われています。試合はBo1、つまり1戦限りの対戦での優勝です。もちろん、ダブルエリミネーションなんてルールもありませんでした。このルール自体、最近知ったくらいで(笑)。
——予選から数えて20万人のなかの勝者って、とてつもない数字ですね。
中野:決勝戦だけで8000人超ですからね。現在の「Capcom Pro Tour」の決勝戦は8人なので、単純計算で1000倍です。
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