元アイドルの『LoL』プレイヤー、清川麗奈がいま考えていること

2021.11.12 宮下英之
今年、『リーグ・オブ・レジェンド』(LoL)の日本リーグ「LJL 2021 Summer Split」のWeek2から、アシスタントMCとして参加した清川麗奈(きよかわれいな)さん。「READY TO KISS」(レディキス)というグループで活躍してきたアイドルだ。

そんな清川さんは、2021年9月6日にTSUTAYA O-EASTで行われた「READY TO KISSワンマンライブ 清川麗奈卒業公演」をもってグループ卒業と同時に事務所も退所。現在はフリーのインフルエンサーとして、SNSやTwitchでのゲーム配信などで活動している。

1シーズンのMCを終えて「LJL」ファンにもお馴染みとなった清川さんだが、これまで「レディキス」卒業の理由については、卒業公演でもその後でも、清川さん自身の口からはあまり明らかにされてこなかった。

華やかな世界に生きてきた彼女が、なぜこのタイミングで「レディキス」を卒業し、eスポーツの世界「LJL」に足を踏み入れることになったのか。

アイドル時代からのファンと「LJL」からの新しいファンのどちらも知りたいであろう、「清川麗奈がいま考えていること」をお伝えしたい。


アイドルに憧れ『ポケモン』にハマった小学生時代


──正直なところ、まさか弊誌のインタビューを受けてくださるとは思っていませんでした。

清川:そんなことないです。私としても「READY TO KISS」を卒業する時にもその後も、なかなか自分から卒業に関して話す機会もなくて、そういう話ができることはとてもうれしいです。

──ありがとうございます。私たち『リーグ・オブ・レジェンド』のファン、「LJL」のファンからすれば、『LoL』を知っているアイドルがまさかアシスタントMCになるなんてと驚かされました。『LoL』をやっていることも意外でしたが、そもそも清川さんがアイドルを目指そうと思われたのはいつ頃だったんでしょうか?

清川:もともと小さい頃から、モーニング娘。とかハロプロとかAKB48などのアイドルが大好きだったんです。将来の夢を聞かれても「アイドルになる」ってことあるごとに書いていました。幼稚園くらいの時からですね。

──一番ファンだったのは誰だったんですか?

清川:モー娘。の辻(希美)ちゃんです。今も大好きなんですけど。あとはあやや(松浦亜弥)とか、幼稚園の頃は歌ったり踊ったりしていて、その気持ちがずっと続いていました。



──出身は鹿児島とうかがいました。

清川:そうなんですけど、母がちょっと病気がちで、関東に住みながら時々鹿児島と行き来していたんです。その都合で学校にも行けない時があって、そういう時は進研ゼミとかで勉強しながら、関東では塾に行って学校分の勉強を補ったりしてました。

鹿児島の家の周りは茶畑しかなくてすることがないので、この頃にゲームを買ってもらって遊んでいました。主にニンテンドーDSで、『ドラゴンクエスト』とか『ポケットモンスター』のダイヤモンド・パールが出ていて、本当にゲームばかりしていました。それが小学校時代の一番の思い出かもしれません。

──学校に行けなかったのは大変でしたね……。

清川:そうでもなくて、東京に帰ってきたら誰よりも『ポケモン』が強くなっていたので、クラスの中では「私、もうここまで進んだよ」って感じでマウントを取れるくらいでした(笑)。みんなは宿題とかちゃんとしてたんでしょうね。

──そこまでゲームが好きになったきっかけは?

清川:お父さんがとにかくゲームが大好きな人で、小さい時から『マリオカート』を一緒にやったり、ゲームセンターにも行っていたんです。

ジャンルはRPGも好きですし、音ゲーとかカードゲームも好きです。『シャドウバース』にも一時期めちゃくちゃハマってて。多分ひとりで黙々とできるゲームが好きなんだと思います。



──一番思い出に残っているゲームというとなんですか?

清川:難しい〜! ん〜、でも『ポケモン』のダイヤモンド・パールかな。あ、『ドラゴンクエストV』もすごく好きでよくやっていました。DSのリメイク版で。

──デボラが追加されたんですよね。3人の中だと誰推しですか? 永遠のテーマですけど(笑)。

清川:え〜〜、誰だろう……幼なじみのビアンカもめちゃくちゃいいんですけど、一番おしとやかなフローラに一目惚れしましたね。でもデボラちゃんも嫌いじゃないですよ。


親に内緒でアイドルになり、メジャーデビューまで家出


──そうやってゲームもたくさん遊びながらの子供時代だったわけですね。そこからアイドルになりたいと思い始めたのはいつ頃だったんですか?

清川:高校生くらいの頃にライブとかに行けるようになって、スカウトされることが多くなったんです。お父さんはバンドを仕事にしていたんですけど、お父さん的には「同じ道をたどってほしくない」という思いがあったみたいで、相談した時にはめちゃくちゃ反対されました。

──それは、芸能界を知っている立場だからってことですかね。

清川:そうだと思います。当時はそういうことは言わずに、ただ「反対だ」って。最近になって当時のことを話す機会があって「そうだったんだー」と初めて知りました。

──でも、そんな反対を押し切ってアイドルになっちゃったと。

清川:大学に入って1年生の時はちゃんと通っていたんですけど、やっぱり自分のやりたいことをしたいって思うようになって、「アイドルは今しかできない!」って思ったんですよね。それで、親に黙ってアイドル活動を始めました。

──2015年に第2期から加入した「SAY-LA」ですよね。

清川:ただ、祝日とか土日もずっとお仕事があって大学にも行けず、大学から親にも連絡が入ったりして……。それでお父さんに「何してるんだ?」って聞かれて「アイドルをやってる」って言ったら、「それなら、家出てけ!」って言われてしまって。

──それは怒られますよねぇ……。

清川:それで、家出しました(笑)。



──え? 家出しちゃったんですか?

清川:出ました(笑)。家出というか、一人暮らしを始めたんです。それが2015年の半ばくらいで、2016年に「レディキス」に入ってからいままでずっと一人暮らしをしています。

当時は、親に弱音を吐いたら負けだし、「やっぱダメだったでしょ」と言われるのが嫌だったので、「なんとしても成功してやる!」って気持ちでしたね。あの時の負けん気ってなんだったんですかね。なんでもできるはずだと信じていました。

──アイドルは大変だってよく聞きますが、笑顔の裏で大変なご苦労をされていたんですね……。

清川:当時はアイドル活動だけでは生活できなかったので、「アイドルの清川麗奈」という名前で働けるカフェでも働いていました。ファンの方とかも遊びに来てくれましたね。しかも、その頃はまだ大学をやめていなかったので、教科書代とかも自分で稼いでいました。

でも「レディキス」に移籍してキングレコードさんからメジャーデビューしたときに、お父さんにポスターとかCDとかを送ったらすごく喜んでくれて。それが仲直りのきっかけでしたね。今では普通に話もできます。

ただ、メジャーデビューしてからは毎月のように遠征があって、大学に行く余裕がなさすぎて……結局やめることになっちゃったんですけどね。

──そんなにひとりだけで頑張っていて、くじけたりはしませんでした?

清川:大変な中でも自分は恵まれた環境だと思っていました。私たちのようにうまくいかないグループもたくさんあったと思いますし、お給料も決して多くはなかったんですけど、負けん気でずっとやっていましたね。


Zepp Tokyoのライブで「自分の役割は終わった」


──アイドルとしての夢をかなえたわけですが、今年の6月30日に卒業を発表されましたよね。同時に「LJL」のアシスタントMCにも就任されたわけですが、どんな経緯だったんですか?

清川:実は、2年前くらいから卒業したいという話はしていたんです。でも大好きなグループだったので迷惑をかけたくないという気持ちが大きくて。その間にメンバーの入れ替えもあったりして、後輩が入ってきてすぐにやめるのは申し訳ないという気持ちもありましたし、コロナ禍に突入してライブやファンに会えるお仕事も減ってしまって、ズルズル時間だけが進んでいっちゃって。

それでも、ラストの日を決めなきゃということで、当初は8月末を予定していたんです。でも、発表しようとした矢先に「LJL」のお仕事とか「2V2」のお仕事をいただいて。「LJL 2021 Summer Split」の最終日が9月5日だったので、卒業ライブはその後にということになりました。



──「LJL」の仕事がそんなかたちで関わっていたんですね。

清川:それだけではないんですけど、発表のタイミングは本当に最後まで悩んで悩んで……そのうちにいろいろなことが進んでしまって、結局2カ月前の発表で、「LJL」終了翌日の9月6日卒業になってしまった、という感じです。

「LJL」の初登場は6月27日にオフラインで開催されたWeek2だった


──「卒業」の一番大きな理由はなんだったんですか?

清川:2019年12月に「READY TO KISS」としてZepp Tokyoでワンマンライブをさせていただいた時に、「自分の役割は終わったな」って思えたんです。これからは後輩たちが頑張る時代だ、って。

自分の中では区切りがついたな、タイミングとしてもやり切ったなって思えたので、「卒業」を選びました。



──2年間かかった分だけ、後輩たちの成長も目に見えて感じられたわけですね。その一方で、ゲーム配信にも力を入れ始めましたよね。

清川:そうですね、コロナウイルスの影響でライブもできなくなったタイミングで、ゲーム配信をするようになりました。そうやっていっぱい『LoL』の配信をしていたら、ゲームの仕事をしませんか? というお声をいただくようになって。ただ、当時はライブに穴が空いてしまうのでお引き受けできなかったんです。

──実際、『LoL』だけでなく『ファイナルファンタジーXIV』もかなりされているとか。

清川:はい、『FF14』も大好きです! Steamを見たら「3500時間」って書いてありました。やりすぎですよね(笑)。やばいです。

──「LJL」に抜擢されたのも、そのゲーム配信からなんでしょうか?

清川:事務所に「2021の夏のアシスタントMCできませんか?」って連絡があったそうです。卒業も決まっているし、事務所とも話し合ってライブ活動も調整していただいて、お受けしました。

だけど、なんで選ばれたのかはわからないんですよね。当時は1日10時間とか配信してたんですけど、多くても60〜70人くらいしか見ていなかったですし、ゲームのお仕事も全然したことがなかったので。いまだに謎です(笑)。

──当時、『LoL』はかなり遊んでいたんですよね。

清川:そうですね、始めたのは2018年でした。高校の同級生に「パソコンゲームで面白いのないかなぁ」と聞いた時に、その子からマウスで操作する『OSU』っていう音ゲーを教えてもらったんです。だけど、マウス操作が難しすぎて。「それなら『LoL』もやってみたら?」って誘ってくれたんです。同級生に『LoL』をやっている子が結構いたんですよね。



最初はうまく操作できなかったんですけど、上坂すみれさんとか花江夏樹さんがキャラクターの声優をやっていることをYouTubeの動画で知って。好きな声優さんが声をやっているというのが一番大きかったですね。だから、最初はジンクス(上坂すみれ)とハイマーディンガー(花江夏樹)ばかりやっていました。

その後、動画とかで知識をつけていって、最初の1年はソナだけをずっとやってシルバーまで行きました。

──初期からランクを回していたんですね。

清川:私、練習が嫌いなんですよね……。それでいきなり1年目から800戦くらいやっていました。ただのアホですね(笑)。

マウスとキーボードの操作もうまくできず、QWERに指を置くのも慣れない状態から、自分の成長日記をつける感覚で配信もしていました。最初は9人くらいでしたね。

──その9人は、アイドルとしての清川さんのファン、『LoL』プレイヤーとしての清川さんファン、どちらなんでしょうね?

清川:昼間に配信していたので、物珍しく見に来た人だった気がします。

──そういえば、ご自宅ではAKRacingに座られていますよね。

清川:そうなんです、AKRacingさんの「極坐」というゲーミング座椅子を使っています。私の部屋のコンセプトとして、物を低めにそろえたくて。「ゲーミング座椅子」といえばAKRacingでした。

私、体育座りしてゲームするんですけど、それに一番合うチェアがAKRacingだったんです。姿勢が悪い人にもオススメですよ!

Twitchでのゲーム配信にチラチラ映るゲーミングチェア「極坐」


「キャリーするソナ」でアイアン4からシルバーまで昇格


──これ、『LoL』関係の方に必ず聞いているんですが、清川さんが思う『LoL』の魅力ってなんですか?

清川:その質問、難しいんですよね……。やっぱりゲームの理解度が高くないとできないこととか、アイテム一つで戦況が変わったりするところとか。それと、世界観の広さとかキャラクターのかわいさとかですかね。

やればやるほどうまくなるというのもあるかもしれません。ひとりで黙々とやるゲームが好きなので、友達ともあまりやらず、ソロランクばかり遊んでいました。

──嫌なことを言われたりしたこともありますか?

清川:ありますあります! めちゃくちゃへこむし、「そんなこと言わないでよ!」とかチャットしたこともあるし(笑)。でもあまり気にしていないというか、切り替えられるタイプなんだと思います。

──ネガティブな声を気にせずにゲーム自体が楽しいと思えることも、『LoL』を続けていく上でのひとつの才能だと思いますよ。

清川:そんなこともないです。「私、無理だな……」って何回か挫折もしていますし、実はアイアン4まで落ちたこともあるんです。


──そうなんですか? どうやってランクを上げられたのか、ぜひ知りたいです。

清川:開き直って「もう自分でキャリーする!」って思ったことですかね。

ソナの場合、サポートアイテムに加えて、味方を補助するアイテム(「アーデントセンサー」や「フローウォータースタッフ」など)を積むと思うんですけど、私はソナをやるときはAPアイテムしか買わないって決めてて。自分がダメージを出してCCを入れてキャリーする、というのをやっていましたね。そうじゃないとランクが上がらないって思って。

──それでアイアンから上がれたというのは励みになりますね。最近好きなチャンピオンは誰ですか?

清川:去年はチャンピオンプールを増やそうと思って、ひたすらいろいろなサポートチャンピオンを使っていました。モルガナはCCがいつでも使えるのでキャリーしやすいなと思って、モルガナとレオナをすごく使っていましたね。

──それこそ、「2v2」のときのモルガナはすごい活躍でしたよね! たしかに、キャリーしようと前のめりになってるうまいサポートって、対面に来るとやっかいなんですよね。

光の番人 - INVITATIONAL -(Twitch)


清川:多分私、本当はサポートが性に合っていないんだと思います。ひとりでレーンに出るのが怖すぎてサポートをやっていたんですけど、あんまり協調性ないし(笑)。

それで、最近はミッドをやるようになりました。今の方が楽しいです(笑)。主にゼドを使ってます。



──セナからゼドって、ずいぶん大きい変化ですね。

清川:嫌われがちなチャンピオンを使うのが楽しいのかもしれません。自分でそういう人間だったんだなって思うんです(笑)。スキルショットを当てに行くチャンピオンが好きなので、これからはゾーイとかも練習したいです。

──性格が出ますよね(笑)。

清川:そうですね、私、むちゃくちゃ負けず嫌いなんです。

いまお話ししながら思い出したんですけど、モルガナを練習し始めたのも、配信を見ていたリア友に「あんたのモルガナのQは壊滅的だ」「あんなのランクで出してるなんてトロールだよ」って言われたのが悔しすぎて、ひとりでコソ練したのがきっかけでした。


「LJL」出演でキャスター陣とファンの温かさに触れて


──「LJL」に出てから周りの反応はいかがでしたか? 多分アイドルとしての清川さんのファンと、「LJL」ファンの両方の声があったと思うんですけど。

清川:私、配信で大口を叩くことが多くて(笑)、すごく昔に配信で「いつかLJLのアシスタントをやる!」って言ってたらしいんです。ずっと配信を見てくれてライブにも来てくれたファンの方に、「すごいね」って言っていただいたのが一番心に残っていますね。

自分では覚えていなかったんですけど、内心いつか『LoL』に携わるお仕事をしたいとは思っていました。



──じゃあ、夢がかなったときはうれしかったでしょうね。

清川:嬉しさ反面、緊張しすぎて足が震えすぎちゃって……。最初は「福岡ソフトバンクホークスゲーミング」が言えないくらいでしたから。

──「Summer Split」のアシスタントMCを務めてみてどうでしたか?

清川:サマーの間は、最初は不安な気持ちと夢の舞台に立っているという緊張ばかりだったんですけど、だんだん「LJL」ファンの皆さんに受け入れてもらえたのかなと思えてきて。やりがいもあったし、すごくいい経験だったなって思います。

──共演者との交流はどうでした?

清川:残念ながら、選手の皆さんとはコロナの影響でほとんどお話しできなかったんですけど、キャスターの皆さんとはほんとに仲良くなれました。私が思っていることや、不安な気持ちとかわからないこととかも聞いてもらえましたし、「1」のわからないことを聞くと「100」で返ってくるんですよ。

『LoL』愛に溢れた人ばかりで、あの空間でお仕事させてもらえたことが幸せすぎました。レギュラーシーズンは朝の10時集合で終電までやっていたんですけど、それが苦痛に感じないくらいずっと楽しい時間でしたね。

──ファンも楽しそうに頑張っている様子は伝わっていたと思います。応援コメントも多かったですよね。「らい姉」というあだ名も定着しましたし(笑)。

清川:実は前かららいじんさんに似ているとは結構言われていたんです。でもあんなふうにあだ名をつけてもらえるとは思っていなかったし、受け入れてもらえた感があってうれしかったですね。


コロナでつらい時期、『LoL』に助けられた


──卒業してからフリーとして活動されていますけど、今後の活動についてはいかがですか?

清川:模索中ではあるんですけど、やっぱり『LoL』に人生を変えてもらったなって思うし、コロナの期間中に仕事がなくてつらい時期も『LoL』をやっていると気分が紛れたりして、ほんとに助けられました。

なので、『LoL』に恩返し、じゃないですけど、なにかできたらいいなっていうのが一番です。

日本はまだ海外に比べると『LoL』が普及していないので、少しでも『LoL』が楽しいゲームだということを伝えられるような存在になりたいのもあるし、将来的には、『LoL』のコミュニティ大会の裏方とか、支えていける存在になりたいなって思っています。



──これまで表舞台に立ってきたアイドルとはだいぶ違うお仕事ですよね。

清川:そうですね……将来の話になっちゃうんですけど、30代とかになったら今の状態じゃ生きることはできないと思うので、『リーグ・オブ・レジェンド』やeスポーツを盛り上げる裏方として携わっていきたいと思っています。

──アイドルの延長線上として、アーティストとして歌やダンスなどで生きる道もあると思いますけど……。

清川:そうですね、なんていうか……いま表に出ている理由は「アイドル時代にできなかったことをしよう」というのが一番大きくて。

たとえば、アイドル時代は外仕事をほとんどしてこなかったんです。なので、いまは可能性があればなんでもしていきたいですし、MCとか、ゲーム関連で表に出る芸能関係のお仕事は続けていきたいって思っています。

──アイドルを卒業しても、いろいろな仕事をしていくことは変わらないわけですね。

清川:はい、今はなんでもやってみたいので、ゲームでも大会のサポートでもなんでもやります。お仕事、お待ちしています(笑)。

──最後に、アイドル時代から応援してくださっているファンの方たちに伝えたいこと、メッセージをお願いします。

清川:多分、私がアイドルをやっている姿を好きでいてくださったんだと思うんですけど、卒業後も変わらずに応援してくださる方が本当にたくさんいるんだなぁって、いま実感しています。

まだどんなかたちで活躍できるか、はっきりとは言えないんですけど、必ずファンの方が「清川麗奈を応援していてよかった」と思ってくれるような活動をしたいと思っているので、わがままかもしれないですけど、これからも応援していただけたらうれしいです。

ゲームの配信でつらい言葉をかけられているのを見て悲しんでいるファンの方もいるかもしれませんが、それ以上に、私が言い返しているところを見て、「あ、この子は大丈夫だ」って思ってくれていると思います(笑)。


ーーー

「元アイドル」という肩書は、芸能活動をする上では大きな武器となる。しかし、彼女は現在、あまりそのことを表に出していない印象を受けた。もちろん、常に笑顔を絶やさない明るさは変わらないのだが、インタビュー前に持っていた「レディキス」でのエネルギッシュな姿よりも、落ち着いた大人の女性の趣を感じた。周囲が感じる華奢で消えてしまいそうな美貌よりも、負けん気の強さの方が彼女の本質なのかもしれない。

アイドル・清川麗奈のファンにとって、アイドル時代に見られなかった素の姿が見られることには、複雑な思いを持っている人もいるかもしれない。しかし、アイドルとして舞台に立つことはなくても、ゲームや『LoL』の仕事で見かける機会も少しずつ増えているし、Twitchでのゲーム配信でもいつでもあの笑顔に会える。

出会いのきっかけは「READY TO KISS」でも「LJL」でもSNSの素の表情でもいい。清川麗奈を応援したいという人がいる限り、彼女はきっといつもの笑顔で、アイドル時代以上にパワフルに、ファンの思いに応えていってくれるに違いない。

※記事に使用しなかった取材時のオフショット写真をまとめた記事はこちら。

清川麗奈インタビュー番外編【オフショット集】



清川麗奈のTwitter:https://twitter.com/kiyokawa_reina
清川麗奈のTwitch:https://www.twitch.tv/kiyokawareina

撮影:志田彩香(@shidax21

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