「所詮ゲームなんて言わせない」というメッセージに込められた本当の意味とは?【REJECTオーナー 甲山翔也氏インタビュー:前編】

2020.10.21 井ノ川結希(いのかわゆう)
若干21歳の若き青年によって設立されたチーム「REJECT」。発足2年にもかかわらず、数々のタイトルで頭角を現し、eスポーツ界に新風を巻き起こしている。特に『VALORANT』部門では、一強だった「Absolute JUPITER」に勝ち星を挙げるなど、めきめきと実力をつけている。

また2019年末にプロeスポーツチームとして国内初のVCからの資金調達を実施しeスポーツスタートアップとして上場を目指し急拡大中。各タイトルの強豪選手をチームに取り入れさらなる成長をみせている。

さらには「所詮ゲームなんて言わせない」をコンセプトに、渋谷109フォーラムビジョンにて広告展開をスタート。選手に背番号を付与するなど、国内eスポーツチームとして初の試みにも挑戦している。

そんな話題沸騰中のチーム「REJECT」にチーム発足のいきさつや、「REJECT」が目指すeスポーツシーン。今後の展望などインタビューしてみた。

また、本インタビューは甲山氏のnoteを拝見したのちに実施している。noteを見ていなくても楽しめる内容になっているが、まずは甲山氏のnoteを見てから読むと、より楽しめる内容になっている。

甲山氏note:https://note.com/nastel/n/n161bfb16811b

ゲームに救われた少年時代


——「REJECT」のオーナーとしての甲山さんの話を聞く前に、どのようにゲームに関わってきたのかというのをおうかがいしたいと思っています。甲山さんがゲームに出会ったのはいつ頃でしょうか?

甲山氏(以下、甲山):いわゆるシューティングゲームにふれるようになったのは小学生の頃ですね。

僕はどちらかというと正義感が強い方で、「(いじめられている)友だちを救いたい」という少年でした。それこそ空手とか柔道とか習っていたので身体は丈夫でしたしね。

自分の方ではそういった正義感が“イケてる”と思っていたんですが、何か秀でているものがあると虐められるというのはよくあることで、僕もそのターゲットになってしまいました。


身体は丈夫でしたがメンタルの方は決して強い方ではなかったこともあり、段々外に出るのが嫌になってきて、家にいることが増えてきた。そんな中、オンラインゲームに出会い、幼稚園の頃からの友人と遊ぶようになったのがきっかけです。

——それがいわゆるシューティング(FPS・TPS)だった?

甲山:そうですね。その頃やっていたのが『Counter-Strike Online』です。

ただ当時は競技を意識してやっていたのではなく、ただゲームを楽しんでいるという感覚で遊んでいました。

——なるほど、その延長線上でnoteにも書かれていた『Counter-Strike Online 2』(以下、『CSO2』)での優勝経験があったのですね。

甲山:はい。『CSO2』は3度の公式大会があったのですが、そのうち2度出場して優勝しました。

でも当時は賞金をもらえるわけでもなく、ゲーム内のアイテムのようなものしかもらえないとか、漫画喫茶で集まってみんなでワイワイ戦うとか、そんな規模の大会でした。

ただプレイヤー目線で言うと、そういった環境での大会は気合いが入りますし楽しかったのを覚えています。そういう経験が今につながっているのかなあとも思いますね。

——ある意味ゲームに救われ、ゲームの楽しさを知った少年時代だったのですね。

正義感から生まれたeスポーツチーム
「All Rejection Gaming」


——その流れで2018年。プロ選手「なすてる」としての活動がはじまるわけですね。

甲山:はい。

とあるオーナーにプロチームの話を持ちかけられ、『PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS』(以下、『PUBG』)のチームを作って欲しいって頼まれたんです。毎月お給料がもらえてプロとして活動できるという話は僕にとってとても魅力的で、オーナーの話を信じてメンバーを集めてチームを結成しました。

それが「REJECT」の前身となる「All Rejection Gaming」です。

——そこで「オーナー失踪事件」が起こるんですね。

甲山:はい……。

ただ選手を集めたのは僕自身ですし、オーナーからの連絡は来ない状態でお給料なんかももちろんもらえない。そんな状態でオーナーを待っていても仕方がないと思い、僕は選手としての活動を辞め、チームの代表になって選手にお給料を払うことを決意しました。

それが今の「株式会社CYLOOK」です。僕が19歳の時に設立しました。

——19歳で代表!いきなりすごいことになってますよね。ただ気になったのが、オーナーに失踪されたあと、「責任を感じて代表になる」という気持ちは一体どこから生まれたのですか?

甲山:父親が経営者ということもあり、いずれは会社を継ぐんだろうという意識がどこかにありました。ただひとつ上の兄が後を継ぐと決意したのをきっかけに、僕自身会社を持ちたいという気持ちが芽生えたんです。「19歳のうちに会社を建てたい」と思っていたので、そういう気持ちも後押しになりました。

——タイミング的にもちょうど良かったんですね。

甲山:はい。

ただeスポーツチームについての知識は一切なく、どうやってお金が発生するのか、チームとしてどうやって収益を得るのか——など、そういうお金に関しての理解がありませんでした。「スポンサードってなんだろう?」とか、「とりあえずみんなやってるからやっておけばいいのかな?」とか(笑)。

それでも選手の給料は払っていかなければならない。そこでWeb制作の仕事をはじめ、選手たちの給料を払っていました。

——Webの仕事を請け負って回していくって相当大変なことかと思います。しかもまだ大学在籍中ですよね?

甲山:はい。まあ大学は休学しているんですけどね(笑)。

ただ同志社大学に進学したことは大きなメリットがありました。同志社大学は京都にあるのですが、京都って学生が多い町で、学生を支援する気持ちを持った方が多い土地柄なんです。なので、こういった仕事をはじめるにあたり、支援いただいたり、京都府知事にお目にかかれる機会があったり、相談できる機会があったりと、さまざまな方と交流を持てたことは大きいですね。


——なるほど。ゲームをやっていたからというのではなく、しっかりと大学での活動が生きていたんですね。

甲山:そうですね。ただやっぱりeスポーツチームを運営していくのは大変でした。自分がオーナーになって、前のオーナーが失踪した理由がわかった気がします。

これは食えないぞってね(笑)。

——そこで最初のスポンサードの企業が決まったんですね。

甲山:そうですね。株式会社ストランダー(当時は株式会社アジャスト)さんが初めてのスポンサードを決めてくださった企業なのですが、この時の出来事は今でも忘れられません。

——具体的にどのようなことをスポンサードしていただけたのですか?

甲山:もともと僕がスポンサードシステムを理解していなかったのですが、そういった基礎の基礎を教えてくださったのが、当時の社長の青木さんです。

当時は株式会社アジャストさんがeスポーツチームを募集していたんです。そういった流れで青木さんに会うことになったのですが、もちろん僕は知識もなにもない。

とにかく自分たちの魅力を伝えなければと思った僕は、がむしゃらに資料を作って慣れないスーツを着て青木さんに会いに行ったのを覚えています。

今考えたら意味がわからないような、数字をたくさん並べた資料を見せて「僕らってこんなすごいんですよ」とか「将来こんなことになるんです!」とかいいながら夢を語っていたんです(笑)。

そうしたら社長が感銘を受けてくださって「君に決めた!」とその場で快諾してくれたんです。

——おおっ。思いが伝わったんですね!

甲山:はい!

実はスポンサードをよくわかってはいなかったけれど、僕もとにかくうれしかった(笑)。

そこから毎週ミーティングの時間を設けてくださって、ファンの付き方とか自分たちにとって大切なことなど、今につながることをたくさん教えてくださいました。

——「今につながること」とは?

甲山:物事に大切なのは「ストーリー」なんだということに気づきましたね。なので、僕がnoteを書いたのも、僕自身のストーリーを共有することで魅力を引きつけるという意味もありました。

「All Rejection Gaming」の名を世間に知らしめることになった『PUBG MOBILE』部門設立


——なるほど。確かにストーリーって大切ですよね。そういった流れを経て今度は『PUBG MOBILE』部門を結成しましたね。今までPCゲームだったのに、なぜモバイルゲームに着手したんですか?

甲山:我々が大きく勝つためには何が必要かというと「1位を取るしかない」。ただ1位を取るのは簡単なことではありません。

そんな中で、『PUBG MOBILE』は当時リリースされたばかりということもあって、まだeスポーツとして根付いてないタイトルでした。ただ海外で開催されていたストリーマー大会を見てみたら、eスポーツ大会以上に規模の大きい大会でした。

だったら、まだどのプロチームも参戦していない『PUBG MOBILE』に参戦すれば、うちのチームでも勝てるんじゃないかと思ったのがきっかけです。

——そうだったんですね。でもプロが参戦していないってなったら、それこそ選手も見つからなかったんじゃないですか?

甲山:ゲームってプロじゃなくてもうまい人ってたくさんいるんですよ。それこそ、口も達者だし態度も生意気なクソガキみたいな子がめちゃくちゃうまかったり(笑)。


そういった子ってそもそも大手のプロチームには相手にされない。面接の時点で落とされるレベルの子なんですけど、ゲームの実力はピカイチ。そんな子がゴロゴロいたのが『PUBG MOBILE』でした(笑)。

そういう子たちに話しかけては親御さんにも会いに行ったりして、とにかく一番強いプレイヤーを10名くらい集めてチームを結成しました。

——おおおお。それはそれですごい!

甲山:僕たちがチームを結成したのは、公式大会が開催されるもっと前で、大会開催が決定してからSCARZさんやDeToNatorさんがチームを発足した流れになるので、時期的にも僕たちがかなりリードを取ってました。そういったこともあって、圧倒的な実力差で優勝することができました。

ただマネジメントが難しくて……。正直スポンサードしていただける企業に対して企画書をもっていける状態ではなかったんです。選手の態度も悪かったり、ユニフォームもしっかりしていなかったし……。

▲『PUBG MOBILE』のチームメンバーと一緒に。(出展:甲山さんのnote

周りからしたら「なんかよくわからないポンコツアマチュアチームが来たぞ」みたいな感じでしたね(笑)。

毎日心が折れそうになりながら、誹謗中傷のDMに返事を書いたりして活動を続けていました。

そういった状況が続く中、僕は選手たちに「あと1年頑張れば絶対大丈夫だから」とか、「この先に絶対明るい未来が待ってるから」と言い聞かせて続けてもらったのを覚えています。

大手が絶対に引き抜かないであろう選手を、更生できるうちに集めて優勝できたっていうのは、ある意味うちのチームの強みでもありましたね(笑)。

——確かに!

甲山:あとは世界大会に行ってから、チームとしても選手としても、各自の考え方が変わりました。ざっくりいえば世界との格の違いを痛感したんです。

海外のチームはベンツでお出迎え、高級ホテルの手配、SIMカードもプレゼントなどなどとにかく好待遇。かたや自分たちはスポンサードもされてないとりあえず作ってみた感じのダサいユニフォーム、自前のスマホでの出場……。いろいろな意味でレベルの違いを見せつけられました。

そういった経験をして意識改革が起こり、eスポーツチームとして意識を高めていくことができました。

——そういう気持ちの変化って大切ですよね。気持ちといえば、noteに「一生忘れられないうれしい言葉をもらった」と書いてあるのですが、この「うれしい言葉」というのは?

甲山:とある選手の親御さんからいただいた言葉なのですが、いろいろな事情があってふさぎこんでしまった息子を見て、将来不安を感じていたようなんです。

でも「REJECT」に入ってeスポーツ選手として活躍するようになって、息子が自信を持って生き生きとするようになったという感謝の言葉をいただいたんです。

それを聞いたとき、「REJECT」というチームを作って、続けてきてよかったと心から思えるようになりました。

「REJECT」として前進! 社員を増やして六本木へ!


——そんなうれしい言葉をもらいつつも、まだまだ社員は甲山さんひとり。ここまでひとりでやってきたのもすごいですが、いよいよ会社を大きくしていくわけですね。

甲山:世界大会に行きまくっているのにもかかわらず、お金がない上にプロモーションができていないという状態が続いてまして、僕にとってはそれをどうにかしていきたいというのが悩みでした。

そんなとき同業の仲間から「eスポーツチームは、ちゃんとファイナンスして、お金もらってしっかりと投資をし続けるべきだ。実際海外のチームはそうしているだろう」という話を聞いたんです。

それを聞いた僕は「なんだそれは?」となって、まためちゃくちゃ調べて勉強しました。そんな最中、2019年の11月くらいから投資家からのアプローチが結構きていたのもあって、めちゃくちゃ知っていますよ感を醸し出しながら「我々はこれくらいの価値があるんです!」とか説得してましたね(笑)。

——それがサウジアラビアでのクラウドサインなんですね。

甲山:はい。そういった資金調達もできたというのもあって、2020年の1月に日本に帰ってきてすぐに東京に来ました。それこそリュックひとつで。

そこからは朝から晩まで、30分刻みで人と会うことを繰り返して面接していきました。そういった苦労もあって新型コロナウイルスの影響が出る前に、一緒にやって行けそうな人を見つけることができて、社員を増やすことができました。

▲当時はとにかくがむしゃらに頑張っていたと甲山さん。会社に寝泊まりをして、寝て起きては仕事というのを繰り返していた(出展:甲山さんのnote

——ちなみに「REJECT」というチーム名になったのはいつ?

甲山:2020年の3月ですね。まあ名前を変えた理由はいろいろあるのですが、単純に名前が長すぎるというのもありました。大会に出場すると「All Rejection Gaming」っていうチーム名を表示するところが2段に改行されたりして見栄えもよくなかったんです。

ただ「All Rejection Gaming」のコンセプトで「REJECT」っていう部分はとても大きな要素でしたので、そこだけ残して「REJECT」にしました。

「REJECT」は「拒否」とか「払拭」といった意味を持っています。「eスポーツにおけるかつての価値観を払拭したい」という意味を込めてこのチーム名にしています。

▲左が以前の「All Rejection Gaming」のロゴ。ALLとOwl(フクロウ)を掛け合わせたデザインになっている。右が「REJECT」のロゴ。イメージとなるフクロウを残しつつ、今風のデザインに変えたとのこと

やっぱり、ゲームって「所詮ゲーム」とか「eスポーツってwww」って馬鹿にされてる時代があったと思うんです。とにかくそういうeスポーツに関係するマイナス要素を払拭したいという意味合いがあります。

——そういう意味で渋谷109のフォーラムビジョンにて広告展開スタートしたというのもあるんですね。ただ、なぜこのタイミングで渋谷でCMを展開していくのかなというのが気になりました。

甲山:正直めっちゃかっこよくないですか?(笑)。めっちゃかっこいいんですよ(笑)

——あはは。確かに(笑)。

甲山:あとは、ああいったイメージ広告を出しているeスポーツチームって、今までなかったんですよ。渋谷の交差点をジャックするっていうのも今風で、幸いにも競合他社がいなかったものですから、僕らにとっては非常にプロモーションできたと思っています。

——確かに、インパクトがあったしなにより映像がカッコイイですもんね!

甲山:あとは新型コロナウイルス感染症の影響もあって、コスト自体が安かったというのもあります。もちろん、このコロナ禍で一体どれくらいの人があのCMを見るのかとか、どれくらい影響があるのかとか考えたら、結果は大きくないかもしれない。

ただ、長い目で見れば「我々は国内eスポーツチームではじめてCMを展開した」という歴史は作れたわけですし、ひとつのプロモーションとしては大成功だったと思っています。


——なるほど。費用対効果というよりは「REJECT」のブランディングという意味が強かったんですね。

甲山:はい。もちろんチームのブランディングにもなりますし、選手のブランディングにもなると考えています。

あんなカッコイイCMに出られた選手っていうのは、うちのチームをめちゃくちゃ好きになってくれると思うんです。「REJECT」に所属していることに誇りを感じてもらえる。これって「REJECT」を離れたくない要因のひとつだと思うんです。

そういう選手に対してのブランディングという意味でも効果があったと思っています。

——なるほど。いろんな意味が込められていたんですね。では、チームとしての今後の展望をお聞かせください。

甲山:直近のビジョンとしては「世界で一番“FPSタイトル”で強いチームになります!」

また会社としての展望は、選手が胸を張って「僕はeスポーツ選手」をやっていますと言える環境を作っていきたいと思っています。

——ありがとうございました!

———

さまざまな経験を経て、今こうしてひとつのチームを支えるオーナーとなった甲山さん。自分が受けてきた経験を新しい世代にはさせたくないという信念から生まれた「REJECT」というチーム名が、彼の思いを完結に語っていると感じた。

いじめ、裏切り、罵声——そういった負の要素を払拭するんだという熱い思いを真面目にも楽しく話す彼の姿を見て、eスポーツシーンが明るい未来になっていくのでは、と考えられるようになった。

彼のような正義感の強いオーナーに囲まれた選手はきっと幸せに違いない。後編では『VALORANT』部門の設立のきっかけや、強さの秘訣を語っていただいた。

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