「一般の人も楽しめるコミュニティ大会を続けていきたい」【ボタンマッシャーズ代表 がまの油インタビュー】 (1/2)

2019.5.28 井ノ川結希(いのかわゆう)
eスポーツ元年と呼ばれた2018年を皮切りに、eスポーツ競技タイトルも増加。それに合わせて、大会自体の数が増えてきている。参加者や主催者のなかには新参の人もいるが、いつの時代も主催者やボランティアの「頑張り」に支えられている面は否めない。

eスポーツ大会をより活性化させるためには、華々しいプロゲーマーが増えるだけでなく、大会を支えてくれる主催者や運営を協力してくれるスタッフも増えてほしい。長年オフライン大会や配信などを実施してきた経験をもつがまの油さんもそのひとりだ。

今回はがまの油さんにインタビューする機会をいただき、熱意あるコミュニティ運営者たちをはじめ、企業レベルで大会を運営したいと考えているところも含めて、効率的かつ長く運営できるようにするためのノウハウをうかがった。

がまの油 プロフィール

格闘ゲームのイベントを中心に多くのイベントを経験。「ウメハラの電波実況」動画で声の主として有名となる。

格闘ゲームの大規模なイベントを多数手がけ、今では当たり前となったゲームライブ配信の先駆け的イベント「名古屋ストリートバトル」や「EVO」の日本語実況配信など、格闘ゲームのイベントシーンに大きく貢献している。

現在はコミュニティとしてだけでなく、メーカー協力イベントも開催し、セミプロ的な活動を行っている。

真剣にゲームに取り組むプレイヤーの魅力を
みんなに伝えたいという気持ちからはじまった電波実況


――がまの油さんがイベントの実況をやりはじめたのはいつ頃ですか?


がまの油:もともと『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』(以下、3rd STRIKE)が好きでゲームセンターで働き始めたのですが、その時にメーカー主催のイベントやコミュニティのイベントなどさまざまなゲームの大会を手伝うようになったのがきっかけですね。

そんな中、『3rd STRIKE』で今までに見たこともないようなプレイをするプレイヤーがいまして、「この人のすごさをもっと伝えられるイベントを開きたい」と思い、初めてそのプレイヤーにギャラというものを支払ってゲームの大会を開きました。今思えば、その時の大会がイベントの実況をちゃんとやりはじめたきっかけということになりますね。まあ、そのプレイヤーというのはウメハラさんなんですけどね(笑)。

格闘ゲームってさまざまなタイトルが出ていて、例えば『ストリートファイター』シリーズをやっているプレイヤーが『バーチャファイター』シリーズや『ギルティギア』シリーズの対戦を見ても面白さがわかりにくいんですよね。ウメハラさんのすごいところは、そういうゲームタイトルの垣根を越えて、視聴者を釘付けにできるプレイスタイルを持っていることなんです。

そこでウメハラさんのすごさを伝えるにはどうしたらいいかって考えた末に生まれたのが、いわゆる「電波実況」と呼ばれている実況になります。

【電波実況とは】

電波実況とは“正気を疑うような実況”のことを示し、がまの油さんの代名詞でもある。
某大会で行われた『GUILTY GEAR XX』の試合でがまの油さんが発した実況が有名で、その後この実況は本人公認のもと、ニコニコ動画でMAD素材になるほど有名となり、数多くの電波実況MADが作成されている。


まあ、あの実況についてはいろいろ言われたり、ネタになったりもしましたが、あの実況がきっかけでウメハラさんを知ったという人がいたり、格闘ゲームに興味を持ってくれた人もいたという話を聞くので、ある意味成功だったのではないかと思っています。当時は自分が笑いものになってでも彼のすごさをわかってもらいたかったですからね。

その後はゲームセンターを辞めて転職して名古屋に引っ越すことになり、名古屋を拠点にイベントの運営をするようになりました。


裏方好きが高じて
個人主催で大会を開催するようになった名古屋時代


――名古屋に転勤後は実況はやっていなかった?


がまの油:実況とは無縁の仕事をしていたんですが、そうすると今度は土日が暇になってしまって(笑)。

ちょうどそのタイミングで『ストリートファイターIV』が発売されたんですけど、はじめてこのゲームをゲームセンターで見た時、内容は作り込まれていてしっかりしているんだけど「やり方を今風にアレンジすればもっと流行るはず」と感じたのです。

そこで『ストリートファイターIV』をまずは自分でプレイをして、そこから大会を開けるようにしようと考えはじめました。発売当時は相当やりこんでいて、それこそ全国1位クラスのBPを持つほどでした。そのあとはその知識を生かして大会を開いたのですが、大会自体は久しぶりだったのにもかかわらず、割にすんなり運営できたのを記憶しています。

また、当時UstreamやJustin.tvなどLIVE配信が流行り始めていて、それを見た時、「ゲームの大会もいずれこういう形で世界に配信されるようになるのが当たり前になる」と感じて、その先駆け的な意味を込めて大会のLIVE配信を始めました。それが私個人で主催していた「名古屋ストリートバトル」という大会です。

【名古屋ストリートバトルとは】
名古屋ストリートバトルとは、がまの油氏による個人主催のストリートファイターⅣ大会、及びオンライン大会の名称である。

アーケード版ストリートファイターⅣ稼動から間もない2008年9月14日の第一回大会から、不定期ではあるがコンスタントに開催。全国各地の有力プレイヤーの遠征もあり、参加者は100人を越える。第二回大会からは3on3形式となっている。会場は名古屋のアーバンスクエア大須店を主体とする。

また、本大会とは別にビギナー向けの大会も栄キングジョイ にて開催された。第15回より家庭用ゲーム『スーパーストリートファイターIV』の採用を開始した。会場はウィンク愛知 。これに伴い、第16回開催をもってアーケード版ストリートファイターIVの採用を終了。

大会の模様はJustinやUstreamでLive配信されるほか、ニコニコ動画、zoome、YouTubeなどにアップロードされている。また専用のコミュニティも開設されており、すでにがまの油、こくじん、原さんがユーザー生放送を実施している。2010年9月より、それまでがまの油個人で運営していた形態から「チーム制」に移行した。現在はこくじん、金デヴ、えいた、チョコなどの名古屋を拠点に活動するプレイヤーと、TSK(原さん)、Furon、Chinatsu(若槻)などの有志ががまの油と共に大会運営を行っている。
※出典:ニコニコ大百科(https://dic.nicovideo.jp/a/名古屋ストリートバトル

最初のうちは知名度もなく数十人しか集まらなかった配信も、次の大会では200人、その次の大会は400人とみるみる視聴者も増えてきて、ギャラリーが20人いれば御の字だったゲームセンターでの大会の時代からしたら、この人数には本当にワクワクしていました。

――ブランクがあったのにも関わらず大会運営で動けた理由は?

がまの油:当時実況をやっていた経験もあるんですが、不思議と勝手に動けていました。常に2手3手先を読んで行動できるといいますか、「もう少しで予選が終わるから、トップ8の抽選をはじめよう」とか勝手に頭の中で考えがまとまってしまうのです。

これを誰かに説明しようとしてもうまく説明できなくて……きっと感覚的に身についてしまっていたのかもしれません(笑)。

――そのころの大会の規模ってどれくらいだったんですか?

がまの油:ひとりで200人くらいは回していましたよ。

――200人!?

がまの油:ライブ配信からトーナメントの呼び出し、実況、動画作成までほぼひとりでやっていました。だんだんとお手伝いをお願いできる方は増えていきましたが、当時は自分でやるのが楽しくて、他人に求めるハードルも高くて任せにくかったということもあるかもしれませんね。

また、2011年には「EVO」の現地に向かい、「EVO」初の日本語向け放送もしました。この頃は仕事をしながら実費でやっていました。名古屋でイベントしていた時も仕事の傍らライブ実況をして、動画を編集して、アップロードしてっていうのを休みの週末にやってたのですが、楽しすぎて全然疲れなかったですね(笑)。


自分の実況に違和感を感じ始めたスランプ時代


――ご自身の実況にeスポーツとの関わりはありましたか?

がまの油:2011年の「EVO」以降は、私の周りにもプロゲーマーが誕生したりして第一次プロゲーマーブームが訪れました。ただ、「プロ」という肩書きが欲しいがために、劣悪な条件でプロゲーマーになっている人も現れてきて、そういう流れに違和感を覚えはじめた時代でもありますね。

また『スーパーストリートファイターIV』あたりから、「このままでいいのか」という疑念が生まれた時期でもありました。

そこで、いったん頭の中をリセットしようとゲーム実況から離ようと思ったのがこの頃ですね。

――どのようなところに一番違和感を感じたんですか?

がまの油:やっぱり当時の方向がコアな路線に向かっていたことですね。

私の中で対戦ゲームをもっと一般向けにカジュアルに知ってもらいたいという思いがあって、違和感を感じ始めました。対戦ゲーム自体が、見る人しか見ないみたいなアングラな道に進んでいくのは避けたかったというのもあります。

――そのような状況をご自身で打破しようとは思わなかった?

がまの油:当時はなにをやれば正解だったのかわかりませんでした。いろいろな人に見てもらいたくてライブ配信をはじめたものの、結局そのゲームをやっている人しか見てくれなくなって、自然とコアな配信になっていく……。今思えばこれがスランプだったのかもしれません。その後4、5年くらいは活動を休止していました。

スランプからの脱却! 東京ゲームショウで実況復帰


――実況を辞められたあと、いつ頃実況活動を再開されたんですか?


がまの油:それからしばらくして、MadCatzさんから2015年の東京ゲームショウで大会をやってほしいというお話がきたんです。『ウルトラストリートファイターIV』の最後の「CAPCOM PRO TOUR」の時ですね。

久しぶりの大会運営だったのですが、これがまた不思議で自然と動けちゃいまして……。これはもう天職なんじゃないかなあと(笑)。

――東京ゲームショウの大会ならばかなりの人が集まったのでは?

がまの油:そうですね。隣のメーカーさんのブースまで観客が集まっちゃって、このままだと隣のブースに迷惑がかかってしまう状態でした。その時とっさに、

「みなさん、ちょっと後ろを振り向いてもらっていいですか? このままだと通路の人に迷惑がかかってしまうので、もう少し前に来てもらっていいですか?」

って言葉が出たのですが、この言葉のおかげで会場にいた多くの観客を動かすことができました。

おそらく普通に「前に来てください」と言っても素直に動いてはもらえなかったと思います。一度後ろを見てもらうことで、多くの観客をコントロールできたんじゃないかなあと。この辺は20年以上運営をやっていた経験が生かされましたね。

もちろん時間の制約もありましたから、時間のコントロールもしっかりしていました。確か大会が終わったのが終業時間の40秒前とかそんな感じだったと思います。

――すごい……。

がまの油:1分単位でスケジュールを書いていて、ほぼ合ってましたね。

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