伝説の格ゲーマー・太刀川氏が語る、eスポーツ以前の格ゲーシーンと未来 (1/2)
果たしてこの写真の人物を見て、どれだけの方がこの伝説のゲーマーに気付くだろうか。
世界的に有名なウメハラ選手をして、憧れの人物と言わしめたゲーマー、太刀川。1992年、18歳の時に開催された「ゲーメスト杯 ストリートファイターII ダッシュ チャンピオンシップ」で4000人の頂点に立って以来、『ストリートファイターII』シリーズをメインに活動してきた。
そして、当時の難しさとゲームスピードに対する対応力のすさまじさで数々の伝説を残したあと、いつしか表舞台から姿を消した。
eSports Worldの若い読者は、おそらく太刀川氏が当時どれだけすごかったかは理解しにくいだろう。しかし、彼が当時の日本最強の存在であり紛れもない“本物”だったということをしっかり伝えなければ、これから語っていただくインタビューの説得力が薄れてしまう。
そこで、あらためて太刀川氏が格ゲーと出会ったきっかけや、当時のゲームシーン、日本一になってからの歩みなどを追いかけることで、eスポーツ以前の日本の格ゲーシーン、つまり世界の格ゲーeスポーツの原型を探っていく。
そして、格闘ゲームがeスポーツ競技タイトルとなった現在の格ゲーシーンについてどのように見て、感じているのか。新時代に突入した令和元年、先駆者から見たこの熱狂の格ゲーeスポーツの現状を見直してみたい。
――太刀川さんと言えば格闘ゲームというイメージが強いですが、初めてテレビゲームにふれたのはいつ頃ですか?
太刀川氏(以下、太刀川):小学校低学年の頃からですね。駄菓子屋のゲームコーナーで面白そうなゲームを見かけては「とりあえず遊んでみるというスタイル」でいろいろなゲームをプレイしていました。
それこそインスト*もないようなよくわからないゲームから、初代『ストリートファイター』まで、ただゲームをやりたいという気持ちで遊んでいました。
家庭用と言えば、やはりファミコンの『マリオブラザーズ』ですね。従兄弟と遊んでいましたが、この時点で協力プレイというよりは、対戦感覚で遊んでました(笑)。そう考えると対戦格闘のルーツは『マリオブラザーズ』なのかもしれませんね。
――そんななか、1991年3月に『ストリートファイターII』が稼働されましたが、当初の気持ちは?
太刀川:ふらっとゲームセンターに行ったときに『ストリートファイターII』を目にしたのを覚えています。初代『ストリートファイター』に似ていたので、「あれっ? あのゲームの続編なのかな?」という懐かしい気持ちでしたね。
でも、よく見るとみんな波動拳を連発しているんですよ(笑)。『ストリートファイター』であれだけ難しかった波動拳を、みんながバシバシ撃ってるのが非常に衝撃的でしたね。
――必殺技がガンガン出せる続編に魅力を感じた?
太刀川:ええ、当時はアニメの「ドラゴンボール」が大人気で、子どもたちはみんな孫悟空のかめはめ波に憧れてたんですよ。それに似た波動拳がガンガン撃てるっていうのは、もうそれだけでテンションあがりますよね(笑)。
それこそ僕も、幼い頃はかめはめ波のモノマネをしたりして遊んでましたけど、「本当に撃てたらいいな」とか思っちゃうちょっと痛い子だったんですよ。
――自分自身が撃つってこと?
太刀川:そうです(笑)。
僕の世代でいうと、キン肉マンみたいな超人とか、プロレスラーでいうタイガーマスクとか、そういったアクションヒーロー的な存在に憧れを抱いてた時期でしたからね。
「本当に撃てたらいいな」というのはちょっと馬鹿げていますが、のめり込むと真剣にやってしまうという自分の性格がここに出ていたのかもしれません。その流れで『ストⅡ』との出会いだったので、まあとにかくやり込みましたよ。
この頃ですね、格闘ゲームに真剣に取り組むようになったのは。なんせ、負けると一瞬で50円がなくなっちゃうので(笑)。
——太刀川さんと言えば、『ストリートファイターⅡ ダッシュ』の全国優勝者としても有名ですが、当時の大会までの道のりはどんな感じでしたか?
太刀川:僕はもともと友だちが少ない方だったので、どこかのゲームセンターの常連になるというよりは、ひとりであちこちのゲームセンターに行っては、いろんなプレイヤーと戦ってた時期が長かったですね。
それで、大泉のゲームセンターで一人用をプレイしていたときに、常連の人に声をかけてもらってから、常連とのコミュニケーションが増え、いろんなゲームセンターに行っていろんな人と戦うようになったのはこの頃ですかね。
そこで仲良くなった友だちから、チームに入らないかと誘われたのがきっかけで、初めて大会に出ました。
——それまではゲームの大会に出たことはなかった?
太刀川:そうですね。初めての大会ということもあって、めちゃくちゃ緊張もしましたけど、大暴れして優勝できたんです。
——おおっ、それはすごい!
太刀川:当時の僕は自分のレベルがどれくらいなのかわかっていなかったですし、気にもしてなかったんですけど、この優勝をきっかけに自分のレベルが思った以上に高いことに気付きました。
——それはどうして?
太刀川:誘われた大会というのが、強豪が集まる下井草のゲームセンターで開催された大会で、5 on 5のチーム戦だったんです。それで僕が勝ちまくっていたら、まわりの人が「アイツは何者なんだ」ってザワザワしはじめて……。
うまい人にも敵視されるようになって「アイツだけは倒してやる」みたいに思われるようになったり、敵扱いされるようになったのもその頃ですしね。
——出る杭は打たれる的な存在になったわけですね。
太刀川:そうですね(笑)。
——なるほど。そのチーム戦を経て、1992年のゲーメスト杯の全国大会に出場したんですね。
太刀川:そうですね。予選だけで4000人は集まったんじゃなかったかな。
——4000人! 「EVO 2019」の『ストリートファイターV アーケードエディション』の大会でも2000人くらいですよ! 日本だけでその数ってすごいですね。
太刀川:それと、決勝トーナメントは8人だったのですが、優勝決定戦は全キャラ対決だったんですよ。
——全キャラって12人全員ってこと?
太刀川:そう(笑)。今思えばとんでもないルールですけど、当時僕は全キャラ使えていたので、むしろ僕にとっては気にならなかったです。
ちなみに、僕が優勝した『ストⅡダッシュ』というタイトル、実は7カ月しか稼働していなくて、シリーズの中では一番短いタイトルなんですよ。その短い期間の中で全キャラ対決をして優勝したのはうれしかったですね。
——3年前にウメハラ選手の配信番組「BeasTV」に出演された時にも、数々の伝説が語られていましたよね。反応がすごすぎるとか、技の精度が高すぎるとか……。そういった数々の伝説はどうやって成し遂げたのでしょうか?
太刀川:僕は基本的にいかに周りを驚かせるか、画面を見たときに自分だとわかってもらえるようなプレイをするか、を意識して取り組んでいましたね。それこそ普通の人はやらないだろうというものにも、慣れれば、練習すれば人はできるようになると信じていた部分がありました。
そういった意味では人対策や読みという部分は切り捨てて、対応力をつけるというか、咄嗟な状況で何でもできるように、自分をとにかく磨き上げることを重点に練習していました。自分がやりたいことをやれるようにする取り組みですね。勝つことはあとから結果としてついてくるものですしね。
——とは言え、超絶的な反応とか、いくら自分を磨き上げたとしても難しいんじゃないですか?
太刀川:よく反応がすごいって言われるんですが、僕はそこまで反応がいい方ではないんですよ。毎日同じゲームを見ていれば、グラフィックにも慣れるよねってことなんです。
——というと?
太刀川:要はどこで気づくかということで、認識するタイミングを早くすれば反応もよくなるということです。僕はどちらかというと認識するタイミングが早かったんですよ。
例えば、相手の技ひとつひとつのモーションを見て、攻撃を出している瞬間よりも、攻撃を出そうとしている瞬間に注目している。それだけでも認識するタイミングって随分早くなるので、自ずと反応がいいように見えるということです。
——なるほど。でも、今でこそトレーニングモードのような便利な機能がありますけど、当時はアーケード主体ですし、そんな機能はありませんでしたよね? どうやって練習をしていたんですか?
太刀川:それこそ友人を呼んで「この技に反応して反撃したいから、悪いけどその技だけを延々と出し続けてくれない?」って頼んで対戦してましたよ。もちろんプレイ代は僕持ちで(笑)。
——すごいなあ(笑)。
太刀川:最近『ストリートファイター V』の対戦動画は見たりしているんですけど、「なんでこの技に対してみんな返せないんだろう? 見てからジャンプすれば反撃できるんじゃない?」とか思う場面もあって、そういうのを実践してみたい気持ちもあります(笑)。
——本当ですか? じゃあ『ストリートファイター V アーケードエディション』、やりましょうよ!
太刀川:僕も『ストVAE』はやってみたいとは思っているんですけど、なかなか我が家の通信環境が整わなくて……。やってほしいってよく言われるんですよ。
過去に嫁さんに、いきなりアケコンと『ストリートファイターIV』を渡されて、「あんた、昔すごかったんでしょ? やってみなさいよ」って言われたこともあるし……。
ここまでみんなに期待されているのなら、やってみようかなとかとか思っちゃいますよね(笑)。
世界的に有名なウメハラ選手をして、憧れの人物と言わしめたゲーマー、太刀川。1992年、18歳の時に開催された「ゲーメスト杯 ストリートファイターII ダッシュ チャンピオンシップ」で4000人の頂点に立って以来、『ストリートファイターII』シリーズをメインに活動してきた。
そして、当時の難しさとゲームスピードに対する対応力のすさまじさで数々の伝説を残したあと、いつしか表舞台から姿を消した。
eSports Worldの若い読者は、おそらく太刀川氏が当時どれだけすごかったかは理解しにくいだろう。しかし、彼が当時の日本最強の存在であり紛れもない“本物”だったということをしっかり伝えなければ、これから語っていただくインタビューの説得力が薄れてしまう。
そこで、あらためて太刀川氏が格ゲーと出会ったきっかけや、当時のゲームシーン、日本一になってからの歩みなどを追いかけることで、eスポーツ以前の日本の格ゲーシーン、つまり世界の格ゲーeスポーツの原型を探っていく。
そして、格闘ゲームがeスポーツ競技タイトルとなった現在の格ゲーシーンについてどのように見て、感じているのか。新時代に突入した令和元年、先駆者から見たこの熱狂の格ゲーeスポーツの現状を見直してみたい。
太刀川(たちかわ)
1974年東京都生まれ。スト2初期であり全盛期の時代に活躍していたレジェンドプレイヤー。
1992年に開催された「ゲーメスト杯 ストリートファイターII ダッシュ チャンピオンシップ」という4000人が参加した大会で優勝した。
過去にはゲームライターや格闘ゲームの調整に関わったりしていた。
全キャラを高レベルで使いこなす器用さ・シビアなコマンド入力が要求された当時のスト2で完璧な操作を実現させる入力技術・人間離れした反応速度・正確無比な判断力など、俗に呼ばれる「人間性能」が抜きん出ており、ゲームが異常にうまいとプレイヤー達から有名であった。
ウメハラは格ゲーが生まれる1992年から2016年の現在に至るまで、一番凄いフィジカルを持っているプレイヤーと評した。
※引用:http://fgamers.saikyou.biz/?%E5%A4%AA%E5%88%80%E5%B7%9D#.XXYBEZP7SOE
1974年東京都生まれ。スト2初期であり全盛期の時代に活躍していたレジェンドプレイヤー。
1992年に開催された「ゲーメスト杯 ストリートファイターII ダッシュ チャンピオンシップ」という4000人が参加した大会で優勝した。
過去にはゲームライターや格闘ゲームの調整に関わったりしていた。
全キャラを高レベルで使いこなす器用さ・シビアなコマンド入力が要求された当時のスト2で完璧な操作を実現させる入力技術・人間離れした反応速度・正確無比な判断力など、俗に呼ばれる「人間性能」が抜きん出ており、ゲームが異常にうまいとプレイヤー達から有名であった。
ウメハラは格ゲーが生まれる1992年から2016年の現在に至るまで、一番凄いフィジカルを持っているプレイヤーと評した。
※引用:http://fgamers.saikyou.biz/?%E5%A4%AA%E5%88%80%E5%B7%9D#.XXYBEZP7SOE
対戦のルーツは『マリオブラザーズ』
――太刀川さんと言えば格闘ゲームというイメージが強いですが、初めてテレビゲームにふれたのはいつ頃ですか?
太刀川氏(以下、太刀川):小学校低学年の頃からですね。駄菓子屋のゲームコーナーで面白そうなゲームを見かけては「とりあえず遊んでみるというスタイル」でいろいろなゲームをプレイしていました。
それこそインスト*もないようなよくわからないゲームから、初代『ストリートファイター』まで、ただゲームをやりたいという気持ちで遊んでいました。
*インスト:インストラクションカードの略で、アーケードゲーム用の操作説明書。ゲームの筐体に貼られていることが多く、基本的な操作はこのインストで知ることができた。
家庭用と言えば、やはりファミコンの『マリオブラザーズ』ですね。従兄弟と遊んでいましたが、この時点で協力プレイというよりは、対戦感覚で遊んでました(笑)。そう考えると対戦格闘のルーツは『マリオブラザーズ』なのかもしれませんね。
「俺も波動拳が撃てるかもしれない」と思っていた少年期
――そんななか、1991年3月に『ストリートファイターII』が稼働されましたが、当初の気持ちは?
太刀川:ふらっとゲームセンターに行ったときに『ストリートファイターII』を目にしたのを覚えています。初代『ストリートファイター』に似ていたので、「あれっ? あのゲームの続編なのかな?」という懐かしい気持ちでしたね。
でも、よく見るとみんな波動拳を連発しているんですよ(笑)。『ストリートファイター』であれだけ難しかった波動拳を、みんながバシバシ撃ってるのが非常に衝撃的でしたね。
――必殺技がガンガン出せる続編に魅力を感じた?
太刀川:ええ、当時はアニメの「ドラゴンボール」が大人気で、子どもたちはみんな孫悟空のかめはめ波に憧れてたんですよ。それに似た波動拳がガンガン撃てるっていうのは、もうそれだけでテンションあがりますよね(笑)。
それこそ僕も、幼い頃はかめはめ波のモノマネをしたりして遊んでましたけど、「本当に撃てたらいいな」とか思っちゃうちょっと痛い子だったんですよ。
――自分自身が撃つってこと?
太刀川:そうです(笑)。
僕の世代でいうと、キン肉マンみたいな超人とか、プロレスラーでいうタイガーマスクとか、そういったアクションヒーロー的な存在に憧れを抱いてた時期でしたからね。
「本当に撃てたらいいな」というのはちょっと馬鹿げていますが、のめり込むと真剣にやってしまうという自分の性格がここに出ていたのかもしれません。その流れで『ストⅡ』との出会いだったので、まあとにかくやり込みましたよ。
この頃ですね、格闘ゲームに真剣に取り組むようになったのは。なんせ、負けると一瞬で50円がなくなっちゃうので(笑)。
大会で初めて、自分のレベルが高いことに驚いた
——太刀川さんと言えば、『ストリートファイターⅡ ダッシュ』の全国優勝者としても有名ですが、当時の大会までの道のりはどんな感じでしたか?
太刀川:僕はもともと友だちが少ない方だったので、どこかのゲームセンターの常連になるというよりは、ひとりであちこちのゲームセンターに行っては、いろんなプレイヤーと戦ってた時期が長かったですね。
それで、大泉のゲームセンターで一人用をプレイしていたときに、常連の人に声をかけてもらってから、常連とのコミュニケーションが増え、いろんなゲームセンターに行っていろんな人と戦うようになったのはこの頃ですかね。
そこで仲良くなった友だちから、チームに入らないかと誘われたのがきっかけで、初めて大会に出ました。
——それまではゲームの大会に出たことはなかった?
太刀川:そうですね。初めての大会ということもあって、めちゃくちゃ緊張もしましたけど、大暴れして優勝できたんです。
——おおっ、それはすごい!
太刀川:当時の僕は自分のレベルがどれくらいなのかわかっていなかったですし、気にもしてなかったんですけど、この優勝をきっかけに自分のレベルが思った以上に高いことに気付きました。
——それはどうして?
太刀川:誘われた大会というのが、強豪が集まる下井草のゲームセンターで開催された大会で、5 on 5のチーム戦だったんです。それで僕が勝ちまくっていたら、まわりの人が「アイツは何者なんだ」ってザワザワしはじめて……。
うまい人にも敵視されるようになって「アイツだけは倒してやる」みたいに思われるようになったり、敵扱いされるようになったのもその頃ですしね。
——出る杭は打たれる的な存在になったわけですね。
太刀川:そうですね(笑)。
——なるほど。そのチーム戦を経て、1992年のゲーメスト杯の全国大会に出場したんですね。
太刀川:そうですね。予選だけで4000人は集まったんじゃなかったかな。
——4000人! 「EVO 2019」の『ストリートファイターV アーケードエディション』の大会でも2000人くらいですよ! 日本だけでその数ってすごいですね。
太刀川:それと、決勝トーナメントは8人だったのですが、優勝決定戦は全キャラ対決だったんですよ。
——全キャラって12人全員ってこと?
太刀川:そう(笑)。今思えばとんでもないルールですけど、当時僕は全キャラ使えていたので、むしろ僕にとっては気にならなかったです。
ちなみに、僕が優勝した『ストⅡダッシュ』というタイトル、実は7カ月しか稼働していなくて、シリーズの中では一番短いタイトルなんですよ。その短い期間の中で全キャラ対決をして優勝したのはうれしかったですね。
いまだに語り継がれる数々の伝説
——3年前にウメハラ選手の配信番組「BeasTV」に出演された時にも、数々の伝説が語られていましたよね。反応がすごすぎるとか、技の精度が高すぎるとか……。そういった数々の伝説はどうやって成し遂げたのでしょうか?
太刀川:僕は基本的にいかに周りを驚かせるか、画面を見たときに自分だとわかってもらえるようなプレイをするか、を意識して取り組んでいましたね。それこそ普通の人はやらないだろうというものにも、慣れれば、練習すれば人はできるようになると信じていた部分がありました。
そういった意味では人対策や読みという部分は切り捨てて、対応力をつけるというか、咄嗟な状況で何でもできるように、自分をとにかく磨き上げることを重点に練習していました。自分がやりたいことをやれるようにする取り組みですね。勝つことはあとから結果としてついてくるものですしね。
——とは言え、超絶的な反応とか、いくら自分を磨き上げたとしても難しいんじゃないですか?
太刀川:よく反応がすごいって言われるんですが、僕はそこまで反応がいい方ではないんですよ。毎日同じゲームを見ていれば、グラフィックにも慣れるよねってことなんです。
——というと?
太刀川:要はどこで気づくかということで、認識するタイミングを早くすれば反応もよくなるということです。僕はどちらかというと認識するタイミングが早かったんですよ。
例えば、相手の技ひとつひとつのモーションを見て、攻撃を出している瞬間よりも、攻撃を出そうとしている瞬間に注目している。それだけでも認識するタイミングって随分早くなるので、自ずと反応がいいように見えるということです。
——なるほど。でも、今でこそトレーニングモードのような便利な機能がありますけど、当時はアーケード主体ですし、そんな機能はありませんでしたよね? どうやって練習をしていたんですか?
太刀川:それこそ友人を呼んで「この技に反応して反撃したいから、悪いけどその技だけを延々と出し続けてくれない?」って頼んで対戦してましたよ。もちろんプレイ代は僕持ちで(笑)。
——すごいなあ(笑)。
太刀川:最近『ストリートファイター V』の対戦動画は見たりしているんですけど、「なんでこの技に対してみんな返せないんだろう? 見てからジャンプすれば反撃できるんじゃない?」とか思う場面もあって、そういうのを実践してみたい気持ちもあります(笑)。
——本当ですか? じゃあ『ストリートファイター V アーケードエディション』、やりましょうよ!
太刀川:僕も『ストVAE』はやってみたいとは思っているんですけど、なかなか我が家の通信環境が整わなくて……。やってほしいってよく言われるんですよ。
過去に嫁さんに、いきなりアケコンと『ストリートファイターIV』を渡されて、「あんた、昔すごかったんでしょ? やってみなさいよ」って言われたこともあるし……。
ここまでみんなに期待されているのなら、やってみようかなとかとか思っちゃいますよね(笑)。
【そんなかつてのプレイヤーから見る「現在のeスポーツ市場について」は次のページへ】
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